バディコールと大地に触れる瞑想

先日にあったNVC仲間とのバディコール(定期的に共感モードでお互いを聴き合う時間)。
一緒にお互いの内面を探究する質感がある。たまに深いセッション級の時間にもなる。

相手から「ちょっと共感が必要なんだけど」という趣旨のメッセージをもらって、翌朝にコールをセッティングしたのだけども、自分の中がザワザワしていてなんだか落ち着かない。
その中でこんなやり取りとアクションに落ち着いた。

ワタクシ「話を聴きたい気持ちもあるんだけど、自分の中が落ち着いていなくて、先に聴いてもらいたいような感じがあるなぁ。多分、エイヤって聴き始めればいける気もするんだけどさ。ふー、今そっちはどんな感じ?」

バディ(仲間)「そっか、うーむ、私も聴こうとすればやれる気もするけど、あんまりスペース(余裕)はない感じだな〜。どっちかっていうと、私も聴いて欲しい感じがあるなぁ。」

ここは本当にお互いの正直さをベースにやり取りをする。
取り繕ったり、義理や義務で動かない。無理しない。

で、どうしたものか?

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dyads瞑想

Dyads瞑想という手法がある。
今やっている自己共感のオンラインクラスで前回やったのだけども、とっても奥が深くて面白い。
ペアで5分ずつ、計40分、自分の内側を探究していくプロセス・瞑想。
自分の内側に深くつながれる。
NVCで言う devine energy(いのちの神聖なエネルギー)、IFS (Internal Family System)で言われているSelf energy につながることと自分の中で重なる。

頭で考えるという感じでもなく、自分の中に生じてくることを何であれ受け容れ、味わうプロセス。

数日前に dyads inquiry project に参加してみた。欧州時間の朝7時=日本の午後2時からオンラインでdyadsを毎日やっている。
英語でどんだけやれるかな、という懸念もあったのだけども、それも含めて生じてくることを味わってみることにした。

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マインドフルネス・リトリートでの学びとインスピレーション

ティク・ナット・ハン師の書籍は10年ぐらい前からちょこちょこと読んでいた。ヴィパッサナー瞑想の経験もあるから語られていることの理解はそこそこしているつもりがある。
GWに富士山で開催されたプラムヴィレッジ・マインドフルネス・リトリートに参加することができた。

実際に僧侶の方々と直に接して話を聴いて、4泊を共に過ごして、学びの時間を共にする中で何かがジワジワと沁みてきている感じがある。

【日常の一瞬一瞬にマインドフルであること】
2つの気づきを書いてみる。

ひとつは、喜びや幸せにいつでもつながっていること。
それは、「お金や物があるから」「これを経験したから」といった条件付きではない質のもの。
ブラザー&シスター(僧侶と尼僧)たちは、ほぼ常時自然な笑顔だった。どっしりと今にいて、落ち着いていて、微笑みを絶やさない。

自分自身は自然に近いところで暮らしているので、日々の空気感や自然の変化に気付き、それを味わい歓びにつながることは「ほぼいつも」という感じがある。
最近は1歳児も一緒に暮らしているので、歓びには事欠かない。
けれども、それを表現するといったことにそこまで意識がない。微笑むというのも、実は苦手だったりする(特に家の中で)。
それが現状の自分だけども、どう在りたいかを意識して日々実践をしてみようと思う。
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【WS】~いのちのエネルギーとつながる自己共感~ NVC×マインドフルネス

だいぶ直前ですが、土曜日に神奈川県の藤野にてNVCとマインドフルネスを融合させた「自己共感」に関するワークショップをさせていただきます。

5/11 10時〜16時
シェアリビング・コタン(相模原市緑区日連1594-1)

GW中は富士山にて行われたプラムヴィレッジのマインドフルネスリトリートに参加してきました。
そこでの気づきもシェアできるかな、と。
関心がある方、お気軽にご参加ください。

詳細はこちらへ〜
~いのちのエネルギーとつながる自己共感~ NVC×マインドフルネス

嘆きをコミュニティで受けとめる

前回書いた共生革命リトリートの中でのひとつのテーマは「痛み/嘆き」だったと思う。
人は誰しも生きる過程でさまざまな「痛み」を抱える。それはその人にとっていろいろな意味合いを持つ経験だ。

リトリートではジョアンナ・メイシーが体系化した「真実のマンダラ」という儀式的なワークを執り行った。個人的には3回目の参加だったが、今回を含めどの場でも「自分自身が嘆きを表現する」ということはあまりピンとこない。
その場にいて、何か浮かび上がってくるものもあるのだが、それを思考でやっている感じもあり、表現しようというところまでいかなかった。それはそれでマインドが自己規制しているのかなぁ、と自分を見つつ。

今回の収穫としては、参加者の多様な嘆きを聴きながら、それが「私たちの嘆きである」という感覚が明確にあったこと。

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共生革命リトリート

NVC(非暴力コミュニケーション)関連の仲間たちが企画してくれた「共生革命リトリート@パーマカルチャーと平和道場」というものに参加してきた。

企画自体は知っていたし、気になってもいたけど、今回が初参加(リトリート自体は6回目ぐらいだったと思う)。
思えば、日本語メインで開催されるこうしたリトリート(合宿)に参加するのは初で新鮮な感じだった。
しかも、パートナーと共に1歳児連れ。
総勢30名以上のコミュニティでの6日間。

今回は特に「暮らしを共にする」という側面が強かった。
食事を一緒につくり、鍋や皿を洗い、コンポストトイレの処理をして、薪を拾い集めたり、掃除をしたり。ともすれば外部に頼んでしまうことを、コミュニティとして一緒になってやってみるという実験&冒険。

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自分の中で何が生じても歓迎する=非暴力

昨日はオンライン講座「自己共感というアート」の2回目。
NVCとマインドフルネスを軸にクラスを組み立てている。

今回のクラスは「ニーズにつながること」と「自己共感」の2本立てで学びを展開。少人数でやっていることもあり、質疑も含めてライブ感を個人的には楽しんでいる。

講座のために資料を読み返していて「これは伝えたい!」と思ったことのお裾分け。

NVCの基本的な考え方のひとつに「相手の言動は自分の感情のきっかけにはなっても、原因にはならない」というものがある。(関連記事「自分の内側で生じることのきっかけと原因」
自分自身の中で何かが反応を起こしている。その反応の奥にあるいのちのエネルギーとしてのニーズが言ってみれば原因。
そのニーズが満たされていると心地よい感情が出てきて、満たされていないと不快な感情が出てくる。
なので、感情を手掛かりにしながら、自分の内側で何を切望しているのか、願っているのかにつながっていく。ざっくり言うとそれが自己共感。自分自身の内的体験に寄り添うこと。

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NVCの自己共感と瞑想の重なるところ

この間、自分はヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)を軸にしていたのだけども、少し他の瞑想も学んでみようとしている。
それは、人にマインドフルネスを伝える際にどういったアプローチが分かりやすく、楽しく、実用的かを探究したいから。

そんな流れで、ここ数日マインドフルネス関連の音源を聴いたりティク・ナット・ハンの本を読んでいるのだが、なかなか面白い&興味深い。

ティク・ナット・ハン『ブッダの<気づき>の瞑想』という本を読み進めている。
ヴィパッサナー経由の理解&経験と合わせていくことで、なんだか理解がぐっと深まる印象がある。本の中で紹介されている経典をベースにした7日間の瞑想コースもあって、それにも参加したことがある。コースでは経典を瞑想体験を通して腑に落とすとても密度のあるものだった。


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脱お酒のプロセス

お酒を飲まなくなって、どのぐらいだろうか?
ちゃんと数えてみると、2年9ヶ月。ここまでくると、もう戻る感じがしない。
今はお酒の存在すら意識にのぼってこないし、全くもって関心がない。
我慢して飲まないというのではなく、全然飲みたいと思わない。

こう書くと、「えっ本当に?」という声が聴こえてきそう。
僕のある時のイメージは「ビール仙人」だった。ビールをこよなく愛する山奥に住んでる仙人みたいな。

よく飲んでいた時期は、エ◯スビールを大瓶でケース買いして、冷蔵庫のない家の中にストックしていた。「常温が意外とうまいんだよ」「やっぱりオールモルトの瓶ビールがいいよね」なんて言いながら。
真夏の草刈りの後に昼間っからビールを飲んで、昼寝。畑や田んぼ仕事をして、身体を動かして、家に帰ってきてビールをシュポッ♪ みたいな暮らし。ワークショップ仕事などから帰ったら、どこかでビールを調達して1人乾杯。
休肝日の方が珍しくて、量はほどほどだけど、ほぼ毎日のように飲んでいた時期が長い。

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