共感セッション レポート2

ギフトセッション ゆっくりとしたペースではあるけれども、コンスタントに知人や友人、オンラインで初対面の方々と時間を共にしている。

僕は基本的に聴くモードに徹している。何を聴こうとしているかというと、その人の言葉の奥にある質感。そこにある痛みや歓び、そのさらに奥にある願いや命のエネルギー。
NVCの文脈で言うと、感情とニーズ。
サイエンズの文脈で言うところの「本心」に近いかな。

基本は「聴いている」のだが、セッションではそれ以上の何かが生じてくるから面白い。当人が自分でも見えていない部分にアクセスする、気づきが生じる、自分自身に出会う。

それぞれの人と話す度に、その人の人生の一端に触れさせてもらっている感じがして、こちらもギフトを受け取っている感じがある。

セッションを通して、それぞれの人がよりその人のコア/本質につながって、イキイキと輝くことを願っている自分がいる。
そんな人が溢れる世界って、どんな感じなんだろう。
その世界に近づくのに「聴く」ということがかなりパワフル。

11月は比較的余裕があります。ピンと来た方は気軽にお申込みください。

以下、参加してくださった方からのフィードバックをお二つ共有。
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ギフトで溢れた世界

今、「自分を共感で包み込む100人ギフトセッション」という企画を展開している。
今回は「ギフト」について書いてみたい。

ギフトというのは「贈り物」ということ。
分りやすいのは、自然界はギフトで成り立っているということ。
例えば、今この時にもみんなが吸っている空気。これは、植物が二酸化炭素を酸素に換えてくれることで受け取っているギフトだと捉えられる。
ここ2年間は休んでいるが、田んぼをやっていた時にもたくさんのギフトを得ていた。
米は一粒の種籾を蒔くと、それが苗に育ち、そこから2000粒もの米に育つ。

庭の柚子や柿の樹はたわわに実りをもたらす。
我が家は自然の豊かな中にあって、今時期その辺を歩けば、栗、むかご、あけび、ミョウガ、銀杏などなど自生していたり、誰かが植えたりしたものを恵みとして受け取る(拾う)ことができる。
そこに、お金は介在していない。

では、自然に近いところに住んでいなければギフトを受け取ることはナカナカ難しいのか?
より深く観ていくと、実はそうでもない気がしてくる。

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共感セッション レポート 1

3月にベイビー誕生から育休&主夫モードで過ごしてきたけれども、少しずつ活動を開始している。
「自分を共感で包み込む100人ギフトセッション」
ありがたいことに、知人や友人、まだ面識のない方含め少しずつセッションをさせてもらっている。

共感コミュニケーション/NVCに触れたことがない人でも、全く関係なく自分の中に潜っていくことができる。

50分という時間で各人各様のいろいろなことが生じる。以下はその一例。
人間ほとんどが(自分も含めて)過去の経験の中に「凍りついた状態」を抱えて生きている。
「なんであれ」それをジャッジせずに感じる、認める、受け容れるということ。
その際の鍵は身体の感覚、あるいは自分の中のエネルギー。
限られた時間の中で、必要なことが必要なだけ生じる。
そのプロセスが尊く、愛おしい。


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共生期間を過ごしてみた

前回、共生期間の考え方について書いてみた。
で、「実際やってみてどうだったのか?」を今日は書いてみたい。

我が家は自宅で出産した流れで、産後は家で母子が過ごすというスタイルだった。
3人暮らしがスタートしたが、家事全般を一人で切り盛りすることが予想以上に大変だった。
「普段から家事はやっているし、まぁ、大丈夫だろう」ぐらいの感じでいたが、全く違った。
パートナーと赤ちゃんのケア、家事(しかも我が家は薪風呂だし、スイッチひとつでお湯は出ない、たのしい不便たが沢山な家)、買い出し、布オムツの洗濯などなど。まさにドタバタとこなしていた。

実はフル回転でやっていたら、2週間目ぐらいで息切れして倒れた(一晩眠ったら回復したけど)。
赤ちゃんも育つし、母親も回復してくるので4週目ぐらいからは徐々に余裕が出てきた。
8週間経ったら母親がバリバリ動けるのか、といったらそうでもないので、主夫仕事はしばらく継続。
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生後8週間 共生期間について モンテッソーリ育児

ベイビーが誕生して6ヶ月が経った。長かったような、あっという間のような。
暮らしのリズムもだいぶ落ち着いてきて、自分のやりたいことに時間を使う余裕も出てきた。
我が家の「育み合い」について「生後8週間に渡る母子の共生期間」を通して書いてみたい。

以前の職場でモンテッソーリ育児の書籍『デチタでチたできた!』を発行したことがあった。その際に何度も聴いた用語だった「共生期間」。まさか、自分がそれを実践するとは思ってもいなかった。

出産後にもあれこれ調べる中で明確になったことも含めて「共生期間」について自分の理解を書いてみたい。

出産という経験は赤ちゃんにとっては「分離」の経験でもある。今まで母親のお腹の中で「ひとつ」の状態で大きな安心と共に過ごしていた。心地よい羊水の温度と必要な栄養が供給される環境。その満たされた中ですくすくと育っていく。不足は存在しない、本当に満たされた世界なのだと思う。

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自分を共感で包み込む100人ギフトセッション

ベイビーが誕生して6ヶ月。継続して主夫状態ですが、少しずつ活動を展開していこうかな、と。

「そうそう、わかるわかる~」「それは絶対に相手が悪いよ」といった感じの同意・同調とは全く違った質の共感。
それは、本人の体験に寄り添うこと。そこにどんな気持ちがあって、どんなことを願っているのか。

「共感コミュニケーション」の講座を展開しているけれども、「そもそも共感って?」ということをより多くの人に体感してもらいたい。
自分を叱咤激励するのでもなく、頑張ってポジティブに捉えるのでもなく、相手や自分を責めるのでもなく、ありのままの自分を共感で包み込む。
それを通じて普段意識していない自身の本質につながっていくキッカケを提供したい。
そんな想いから、100人ギフトセッションをスタートします。

受けてみた方からの感想
共感セッションレポート その1
共感セッションレポート その2


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ETCと共感

先日、ETCカードを搭載して高速道路にて
「〇〇出口(左)」「都市高速継続利用(右)」という2つのゲートがあったが、車線変更できず右に入ってしまった。
ETCが反応した感じはしなかったが、どうなっているのか分からない。
出口にETC専用もあったが念のため有人ゲートで支払いをする。
「左じゃなくて、右側を通っちゃいました」と伝えると「大丈夫ですよ」と軽い感じだった。

少し走ってから、何か気になりつつも帰路に着く。
自宅に戻ってからも、「気になる感じ」は残る。
さっき「右側」を通った際にもしETCカードに通行記録が残っていたら面倒だな。
ああ、ゲートの人に自分が言わんとしていたことは通じていたのだろうか?
「大丈夫」って何が大丈夫という意味だったんだろう。
明確に聞いておけば良かったなぁ。
次にETCで乗る時に引っかかったら面倒だぞ。
と思考はグルグル展開する。

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呼吸とレーズン

大学にて留学生向けのマインドフルネス講座(その1はコチラ)

どこかで「誰も残らなかったらどうしよう」という不安も少しだけあったので、13名が残ってくれたことは素直に嬉しかった。

今回は「体験」を重視したかったので、呼吸を見つめるワークに入る。
普段外界に向きっぱなしな意識。誰が何を言っているか、スマホにどんな情報が届いているか、自分がどう見られるかなどなど。それによって、頭が一杯な状態。
それを自分の呼吸をただただ見つめる、観察するというモードに切り替える。

「思考が動き始めたら、それに気づいて、また呼吸に戻ってね」
という言葉を時々かけながら、ただただ、自分の呼吸を見つめる時間。

残ってくれたメンバーだからすごく意欲的かというと、そうでもなく、なぜか小さな声で話をしていたりする。。。
まぁ、いいか、と思いつつ、とにかく声かけをしながら呼吸に意識を向けてもらう。
すると、徐々にメンバー全体が静まってくる感じもあった。

その後に、レーズンを3粒ずつ渡す。
それをただただ見つめてもらった。観察する。

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マインドフルな授業? 「帰って良いよ」

留学生主体の大学生向けのマインドフルネス講座
そこで生じていたことをNVC(非暴力コミュニケーション)とマインドフルネスの視点から記録しておこう。

当日は雨。どんな場になるか、とにかく自分の中ではかなり楽しみだった。
ワクワクしながら足取り軽く大学へ向かう。

80席ほどある教室に着くと、けっこうたくさん学生がいる。
40名以上はいるだろうか。

授業に際して、自分の中の意図としては、何かを強制して学ばせるというのではなく、「興味があったり、やってみたかったらやってみて欲しい」というスタンスを取るというのが明確にあった。
直前の打ち合わせで、友人に「場合によったら、やりたい人だけ残って、帰りたい人は帰って良いよ、というのはアリかな?」「おお~、それもアリかもねぇ。うんうん、好きなようにやってもらって大丈夫だよ」というやり取りをしていた。

ちょうど前日に高校の体育の授業を遠巻きに眺める機会があった。
先生が号令を出し、生徒たちが「それに従い」授業が展開されていく。
ものすごくかったるそうに動いている子、ピッピッという鋭い笛の音に反応して動いている/動かされている子たち。自分も気分が乗らない時はやりたくなかったよな〜と思いつつ。
こういう中で「従う」「やらされる」みたいなモードが形成されちゃうのかなぁ、と感じていた。
各生徒がやりたいことにやりたいだけ打込めたらどれだけの創造性が発揮されるのだろうか?
そんなことも考えていた。

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