リクエストの力(NVC)

NVC意識でニーズにつながり、リクエストをした話

参加中の IFS Level 1 トレーニング
プラクティスグループという3人組があって、そこにアシスタントが一人付く。その3人組でセッションの練習をしていく。

最初のグループで3回ぐらいの練習をしたのだけれども、英語で語られていることが所々意味不明。それでも、こまかな点は横に置いて、相手の様子に焦点を当てつつ、その人のシステム内で生じることを信頼する。
英語でも意外とやれるもんだな〜と思うのと同時に、次回からメンバーの入れ替えをすると聴いて不安が立ち上がる。

「あぁ、早口の人と一緒になったら、練習にならないかもなぁ。モゴモゴ話す人もいて何言ってんだか分かんないんだよなぁ。。。」
特に3名の参加者の顔が浮かぶ。

なんでか分からないんだけども、聞き取れない&何を語っているのか把握しずらい。時々「これって、英語?」という感じも出てくるぐらい。 続きを読む

「子どもを褒める」どんな意図がありますか?

先日の講座の中から出てきた疑問。
NVCの中で「つながりを阻む思考」として「Deserve-oriented thinking:特定の行為が報酬や罰に値するという思考」が挙げられています。
それに対して「子どもを褒めるのもこれに当たるのでしょうか?」といった趣旨の質問をいただきました。

それをきっかけに考えたこと。
褒めることがダメなのではなく、そこにどんな意図があるか?というお話。

大前提:「正しい、間違っている」という枠組み=発想を超える。
どちらも「人間の考え」でしかなく、そのぶつかり合いはただの解釈合戦だから。

NVCの世界観では「正しい/間違っている」という枠組みではなく、「何が大切か(そこにどんなニーズがあるのか)」という枠組みで物事を捉えます。

「子どもを褒める」のも「ダメ」なわけではありません。
それを前提としつつ、どんな捉え方ができるか書いてみます。
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自分がガンジーだったらどうする?【自分の感情や行為への責任】

NVC+実践練習会というオンラインのクラスをやっています。
先日のテーマは「つながりを阻むコミュニケーション」。

その中で「自分の感情や行為への責任の否定/自分の感情や行為への責任を取る」というトピックについて、質問があってやり取りをしたのですが、そこにあるエッセンスをシェアします。
以下は、どこまで行っても、自分の感情は自分の中で生じることだというお話です。

クラスの中で以下のニュアンスのフィードバックをもらいました。
「自分の感情の責任が自分にあるというのがしっくりこない。例えば、相手から傷つくようなことを言われた時に、その責任が自分にあるってどういうことですか?」

「相手に悪意があって何かを言ってきた時に、そこで生じる感情が自分の責任というのは、なんだか良くわからない感じがしてきます」

NVCの原則から見ると「他者の言動は自分の感情の「キッカケ」ではあっても、「原因」ではない。原因は自分自身のニーズが満たされているか、満たされていないかにある」となります。
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NVC+実践練習会と「在り方」を学ぶこと

今「NVC+ オンライン実践練習会」というものを展開し始めている。
この間、NVC関連の講座をやってみて思うのは「日常で触れて学び続ける」ということがないと「そう言えば、そんなのもあったよね」と忘れ去られてしまう可能性が高いということ。

無理もない。みんな日々の暮らしや仕事で忙しくしていて、NVC的なものに触れる機会がなければ、自然と慣れているモードに戻っていく。
でも、どこか頭の隅で覚えていて、何かの機会に立ち返ることもある。
せっかく時間とエネルギーを使って学びに参加してくれる方々に、「学び続ける仕組み」を提供できたらな、と思っていた。

新しいことを学び、それが暮らしの中で定着するのに、以下の要素が大切だと思っている。
*「知的に理解すること」
*「日常の中で意識してみて、思い切って実践してみること」
*「意識したり実践したりして、どうだったかを振り返ること」
*「仲間がいて、経験をシェアし合えること」

これを全て含めつつ、そこに「気楽さ」と「継続性」を加えた仕組み。
どうしたら良いかなぁ、と思っていた時に手元にある500ページある分厚い本が目に止まった。

NVC Toolkit for Facilitators by Raj Gill, Lucy Leu, and Judi Morin (2009).

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嘆きをコミュニティで受けとめる

前回書いた共生革命リトリートの中でのひとつのテーマは「痛み/嘆き」だったと思う。
人は誰しも生きる過程でさまざまな「痛み」を抱える。それはその人にとっていろいろな意味合いを持つ経験だ。

リトリートではジョアンナ・メイシーが体系化した「真実のマンダラ」という儀式的なワークを執り行った。個人的には3回目の参加だったが、今回を含めどの場でも「自分自身が嘆きを表現する」ということはあまりピンとこない。
その場にいて、何か浮かび上がってくるものもあるのだが、それを思考でやっている感じもあり、表現しようというところまでいかなかった。それはそれでマインドが自己規制しているのかなぁ、と自分を見つつ。

今回の収穫としては、参加者の多様な嘆きを聴きながら、それが「私たちの嘆きである」という感覚が明確にあったこと。

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自分の中で何が生じても歓迎する=非暴力

昨日はオンライン講座「自己共感というアート」の2回目。
NVCとマインドフルネスを軸にクラスを組み立てている。

今回のクラスは「ニーズにつながること」と「自己共感」の2本立てで学びを展開。少人数でやっていることもあり、質疑も含めてライブ感を個人的には楽しんでいる。

講座のために資料を読み返していて「これは伝えたい!」と思ったことのお裾分け。

NVCの基本的な考え方のひとつに「相手の言動は自分の感情のきっかけにはなっても、原因にはならない」というものがある。(関連記事「自分の内側で生じることのきっかけと原因」
自分自身の中で何かが反応を起こしている。その反応の奥にあるいのちのエネルギーとしてのニーズが言ってみれば原因。
そのニーズが満たされていると心地よい感情が出てきて、満たされていないと不快な感情が出てくる。
なので、感情を手掛かりにしながら、自分の内側で何を切望しているのか、願っているのかにつながっていく。ざっくり言うとそれが自己共感。自分自身の内的体験に寄り添うこと。

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音霊奉納と内側の共感プロセス

先月、友人が企画する「新嘗祭」という神事で、音霊奉納をさせてもらった。
以前何かの集まりで余興的に吹いたディジュリドゥーを覚えていてくれて、「やってみませんか?」と声をかけてもらった。

英彦山の豊前坊/高住神社の中
ディジュリドゥーはかれこれ出会って20年になるのだけども、下手すると1年間触っていないということもざら。これまでの経験上、1〜2日、15分程度でも練習すると普段使っていない部分の腹筋や肺がディジュ対応に整う。今回も何日か練習して前日も音を出していた。

ある程度自分の中で演奏のパタンをイメージしておいて、あとは即興。
そもそも僕は楽譜や音階とかよく分からないので、感じたままに吹くだけのスタイル。

「あきらさんトップバッターで。時間も「何分以内」とかないので、自由に演奏してください」と当日の朝に伝えてもらう。

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ETCと共感

先日、ETCカードを搭載して高速道路にて
「〇〇出口(左)」「都市高速継続利用(右)」という2つのゲートがあったが、車線変更できず右に入ってしまった。
ETCが反応した感じはしなかったが、どうなっているのか分からない。
出口にETC専用もあったが念のため有人ゲートで支払いをする。
「左じゃなくて、右側を通っちゃいました」と伝えると「大丈夫ですよ」と軽い感じだった。

少し走ってから、何か気になりつつも帰路に着く。
自宅に戻ってからも、「気になる感じ」は残る。
さっき「右側」を通った際にもしETCカードに通行記録が残っていたら面倒だな。
ああ、ゲートの人に自分が言わんとしていたことは通じていたのだろうか?
「大丈夫」って何が大丈夫という意味だったんだろう。
明確に聞いておけば良かったなぁ。
次にETCで乗る時に引っかかったら面倒だぞ。
と思考はグルグル展開する。

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魚屋さんに気持ちを伝える

この瞬間に自分が大切にしたいことにしっかりつながると、思考で理屈を付けて判断するのとは違った行動にスーっと行けることがある。
習慣的あるいは反応的な行動ではなく、自分とつながったところからの意図的な選択。NVCで言う、自己共感のひとつ。
日常の中のひとコマ。

この数ヶ月、妊婦&産後ご飯の対応もあって、ときどき魚を購入していた。
近くの道の駅にある鮮魚コーナー。
何気に魚の質が高いなぁ、と思っていた。
パートナーはよく「今日は何がおすすめですか?」みたいな感じでお店のおじさんと話をしていた。

つい先日、立ち寄るといつものおじさんプラス経営者っぽい人がいた。
我が家の赤ちゃんも一緒だったので、話が弾む。「最近の赤ちゃんは昔と違って顔がしっかりしているよなぁ」といった話題で立ち話。
話の中で経営者っぽい人(オーナーだった)が「ここは今月(5月)一杯なんだよ」と言う。


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