ETCと共感

先日、ETCカードを搭載して高速道路にて
「〇〇出口(左)」「都市高速継続利用(右)」という2つのゲートがあったが、車線変更できず右に入ってしまった。
ETCが反応した感じはしなかったが、どうなっているのか分からない。
出口にETC専用もあったが念のため有人ゲートで支払いをする。
「左じゃなくて、右側を通っちゃいました」と伝えると「大丈夫ですよ」と軽い感じだった。

少し走ってから、何か気になりつつも帰路に着く。
自宅に戻ってからも、「気になる感じ」は残る。
さっき「右側」を通った際にもしETCカードに通行記録が残っていたら面倒だな。
ああ、ゲートの人に自分が言わんとしていたことは通じていたのだろうか?
「大丈夫」って何が大丈夫という意味だったんだろう。
明確に聞いておけば良かったなぁ。
次にETCで乗る時に引っかかったら面倒だぞ。
と思考はグルグル展開する。

自分に共感してみるとどんな感じか?
気持ちとしては、落ち着かない。やや不安もある。モヤモヤする。

その気持ちの奥にあるニーズに触れてみるとどんな感じか?
右側を通った際にETCカードに何か履歴が残ったかどうかを明確にしたい。
次にETCを使う際に安心した状態でありたい(バーが開かずに立ち往生したくない)。

そうだよな、明確にして安心したいんだよな。
そこにつながれると「じゃぁ、電話して聞いてみるかな」と前向きに動き出せる。
高速道路を運行会社にかけてみると「ETCカードの番号が分かればお調べします」と。
へ~、そんなことができるんだね。ということで、番号を伝えると「特に通行履歴はありませんので、次も問題なく使えます」とのことだった。

ホッとした。
対応してくれた窓口の人に、ただ杓子定規に「ありがとう」ではなく「よかった~。これで安心して次にETCで乗れます。ありがとう」と自分の内面を伝えてみた。
すると「それは良かったです~」と相手も嬉しそうな声に聴こえた。その声を聴いて、自分も嬉しくなった。

本当にちょっとしたやり取りだし、顔も見えていないけども、その瞬間になにか「つながり」を感じている自分がいる。

気持ちや内面を伝える一言が、人と人とのつながりを豊かにする。そう実感するひと時だった。