自分の中で何が生じても歓迎する=非暴力

昨日はオンライン講座「自己共感というアート」の2回目。
NVCとマインドフルネスを軸にクラスを組み立てている。

今回のクラスは「ニーズにつながること」と「自己共感」の2本立てで学びを展開。少人数でやっていることもあり、質疑も含めてライブ感を個人的には楽しんでいる。

講座のために資料を読み返していて「これは伝えたい!」と思ったことのお裾分け。

NVCの基本的な考え方のひとつに「相手の言動は自分の感情のきっかけにはなっても、原因にはならない」というものがある。(関連記事「自分の内側で生じることのきっかけと原因」
自分自身の中で何かが反応を起こしている。その反応の奥にあるいのちのエネルギーとしてのニーズが言ってみれば原因。
そのニーズが満たされていると心地よい感情が出てきて、満たされていないと不快な感情が出てくる。
なので、感情を手掛かりにしながら、自分の内側で何を切望しているのか、願っているのかにつながっていく。ざっくり言うとそれが自己共感。自分自身の内的体験に寄り添うこと。


「自分の内的体験として何が起きようとも、ジャッジなしにそれを受け止めて寄り添う」
それは非暴力 non-violence の在り方そのもの。
NVCは非暴力コミュニケーションと訳されているけれども、そういう意味合いもあるのだと理解している。

相手を猛烈に責めたくなっていても、
バカヤローと罵り言葉が出てきても、
自分を「ダメな人間だ」となじっても、
あーあ、また同じことを繰り返してるよとうんざりしても、
何が起きていようとも、それをただただ受け止める。
そして、その奥にある自分の願い・ニーズにつながっていく。
繰り返しその練習をしていくことで、「反応」や「責め」ではなく「選択」から何かを言ったり、やったりできてくる。

僕自身、基本のパタンとして自分に対しての厳しさが結構ある。その自分をまた責めていたり。。。まずは、自分の内側での対立や争いに非暴力の実践をする。
内的体験としてどんなことが生じようとも、そこに寄り添う。
変えよう、乗り越えようともしない。この辺はヴィパッサナー経験のど真ん中。

これはひとつのライフスキル(自分の人生をより心地よく調整していく術)だなぁ、と感じている。