バディコールと大地に触れる瞑想

先日にあったNVC仲間とのバディコール(定期的に共感モードでお互いを聴き合う時間)。
一緒にお互いの内面を探究する質感がある。たまに深いセッション級の時間にもなる。

相手から「ちょっと共感が必要なんだけど」という趣旨のメッセージをもらって、翌朝にコールをセッティングしたのだけども、自分の中がザワザワしていてなんだか落ち着かない。
その中でこんなやり取りとアクションに落ち着いた。

ワタクシ「話を聴きたい気持ちもあるんだけど、自分の中が落ち着いていなくて、先に聴いてもらいたいような感じがあるなぁ。多分、エイヤって聴き始めればいける気もするんだけどさ。ふー、今そっちはどんな感じ?」

バディ(仲間)「そっか、うーむ、私も聴こうとすればやれる気もするけど、あんまりスペース(余裕)はない感じだな〜。どっちかっていうと、私も聴いて欲しい感じがあるなぁ。」

ここは本当にお互いの正直さをベースにやり取りをする。
取り繕ったり、義理や義務で動かない。無理しない。

で、どうしたものか?

ふと思い付いて、こんな提案をしてみた。
「OK、ちょっとさ3分ぐらい席を外して瞑想してきても良い?こないだリトリートで習った瞑想があるんだけど、それをする時間を取ったら落ち着く気がしてきた。」

「へ〜、どうぞどうぞ! 本当に習ったことをすぐに使ってみるよね〜。面白いなぁ。」

ということで一時停止。
先日のプラムヴィレッジの富士山リトリートで習った「大地に触れる瞑想」をやってみた。
五体投地をアレンジしたものらしいけど、身体も動かすし、呼吸も意識するし、なかなかいい感じがしている。

実際にやってみると、身体の中で偏っていた気とエネルギーが、全体に循環する感じがあった。
軽い立ち眩み感もありつつ、その感覚自体をしっかり呼吸とともに味わう。

自分の中のザワザワの根っこが解消されたわけでは全然ないけれども、チューニングされるというか、「おし、大丈夫だ。聴ける聴ける」という感じにシフトした。

そこから相手の話を聴く時間に入ったのだけれども、IFSのパーツワークも絡めてけっこう深いプロセスが展開された。

自分が整った状態で話を聴くことのパワフルさと大切さ、
自分の中の違和感を丁寧にケアすること、そのための手法を知っていることの力も感じた。