脱お酒のプロセス

お酒を飲まなくなって、どのぐらいだろうか?
ちゃんと数えてみると、2年9ヶ月。ここまでくると、もう戻る感じがしない。
今はお酒の存在すら意識にのぼってこないし、全くもって関心がない。
我慢して飲まないというのではなく、全然飲みたいと思わない。

こう書くと、「えっ本当に?」という声が聴こえてきそう。
僕のある時のイメージは「ビール仙人」だった。ビールをこよなく愛する山奥に住んでる仙人みたいな。

よく飲んでいた時期は、エ◯スビールを大瓶でケース買いして、冷蔵庫のない家の中にストックしていた。「常温が意外とうまいんだよ」「やっぱりオールモルトの瓶ビールがいいよね」なんて言いながら。
真夏の草刈りの後に昼間っからビールを飲んで、昼寝。畑や田んぼ仕事をして、身体を動かして、家に帰ってきてビールをシュポッ♪ みたいな暮らし。ワークショップ仕事などから帰ったら、どこかでビールを調達して1人乾杯。
休肝日の方が珍しくて、量はほどほどだけど、ほぼ毎日のように飲んでいた時期が長い。

でも、どこかで「本当は要らないんだろうなぁ」と感じていた。
この飲酒の習慣が無くなったことにはいろいろな要因があると思う。
瞑想(マインドフルネス)だったり、NVCの学びだったり、サイエンズでの検討だったり。

「これでお酒を止めました」みたいなことではないんだけども、自分の経験として影響が大きかったことをいくつか書いてみたい。一種の依存からどう脱却するかというヒントになるかも知れないな、とも感じている。

<満たされていると、お酒が要らなかった>
これは、NVC(非暴力コミュニケーション)の国際集中トレーニング(IIT)でマウイ島に行った時のこと。NVCに可能性を感じて、10日間の合宿に参加したのだけれども、そこでの時間は本当に満ち足りたものだった。刺激的かつ楽しさを伴った学び、なんだか優しい仲間たち、かなり美味しい食事(しかもバイキング形式)、その場で生じるスリリングなプロセス、などなど。
多様な国籍、暮らし、バックグラウンドを持ったメンバーが50名近くいたのかな。そのコミュニティの中で過ごしていると「コミュニティ」とか「つながり」ということの意味と質感が深く変容した。
なんだか胸のあたりがじんわり暖かくて満たされている。そんな感覚が特に後半ははっきり自分の中にあった。
そして、気づくと10日間お酒を飲んでいなかった。最後の日には「みんなで飲むからおいでよ」と言ってもらって参加したけど、なぜだか飲みたいと思わず手をつけなかった。むしろ「なんだか、お酒って臭いなぁ」ぐらいに感じていた。
へ〜、なんだか満たされていたらお酒って要らないんだ、という発見。これは自分でも驚きの経験だった。

<お酒がやめられない、は思い込み>
「いやぁ、自分はお酒は絶対にやめられないだろうなぁ。やめたくても。。。」
そんな感覚がずっとあった。そして、それを「真実/本当のこと」としていた。

サイエンズスクールの「自分を知るためのコース」
この中で「自分は絶対にできないと思っていること」を検討していくプロセスがある。
僕は「歌舞伎町(東京は新宿の繁華街)で高い家賃を払って狭いアパートの一室で暮らす」というものを挙げた。
検討していくと、「できない」と思っているだけで、やろうと思ったら「できる」ということが見えてくる。「やりたくはない」という気持ちはあるけども、「できる」か「できないか」で言うと、「できるよなぁ」という感覚になる。「できない」というのは、自分の考えであって、実際ではない。
厄介なのは、それを「できない」と本当に深く信じているので、あたかもそれが事実にすり替わっていること。
自分で思っているだけで、違う選択はできるのだという大きな気づきがあった。

それを「お酒はやめられない」にも適応してみると、「そっか。ぜ〜ったいにやめるのは無理って「思っていた」けど、実際には「やめる」選択をできるんだ」と自分の中の意識がシフトした。

<瞑想とビール>
何度目かのヴィパッサナー10日間コースに参加した時のこと。4日目ぐらいまで、頭の中がビールの大合唱だった。
「コースから出たら絶対にビールを飲んでやる」
「早くコースが終わらないかなぁ。ビール飲みたいなぁ。」
「京都(センターがある場所)の地ビールってうまいのかな?」みたいな感じで、頭の中はビール、ビール、ビール。。。
それが、5日目ぐらいにだんだん瞑想が深まってくると「あれ、そいういえばビールの大合唱がないぞ」ということにふと気づく。
そこからはビールは全く意識にのぼってこなかった。
これは心の浄化プロセスだったのかも知れない。
その後は2ヶ月以上はお酒無しライフだった。

上記どの経験も、その後に全く飲まないところに直接つながったわけでもなかった。マインドセットが切り替わっていったし、頻度はぐっと減ったけど、時々は付き合いなども含めて飲むこともある状態だった。

飲んでみて「そんなに美味しくもないなぁ」「別に要らなかったかなぁ」みたいな経験を繰り返しつつ、ある時「これでもうやめよう」と鋭く決意したのを覚えている。
それは、自分がしている経験の純粋性をそのまま味わいたいと感じたから。
ひとまず1年止めてみようと思って1年経った頃には、お酒に対して関心が失せて意識にのぼってこない。存在をすっかり忘れている状態でそのまま2年9ヶ月が経過している。

意外と長い道のりだったけど、自分が作った習慣を自ら変えることができた感じがしている。
今ここで満たされているという感覚につながること。
やめられないことは何もなく、全て自分の選択だということ。
マインドフルであることの心地良さ。
そういったことが複合的に効いているのだと思う。