僕が今住んでいる土地に春が来る。
大地からたくさんの命が顔を見せ始める。自然の拡がっていくようなエネルギーを感じる。
ここ11年、春が来ると「そろそろ田んぼのシーズンだな」というパタンがあった。
自分の食べる分の米は自分が関わって育てる/育ってもらう。
それを「よし」として、自分の価値にしてきた。
NVC的に言うとニーズとしては、「自立」や「自分で責任を取ること」といったところか。
「NVC/共感コミュニケーション」カテゴリーアーカイブ
共感コミュニケーション・ワークショップ入門編@福岡市早良区
福岡市早良区南部(山の方です)にて1月から共感コミュニケーション入門編を開催します。近いタイミングで志賀島でも講座を開催します。会場をまたいで①〜③を受講という形でもOKです。
これまでの参加者の感想などはコチラから〜
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共感コミュニケーション/非暴力コミュニケーション(NVC)の大切な要素の中に「感情とニーズに共感する」「自分と相手と出会う」ということがあります。
「あるある、わかるわかる、共感できる~」という女子会的なノリの共感(同調)とはゼンゼン違う共感。それは、わき起こる感情とその奥にある「必要としていること/大切にしたいこと」、あるいはニーズに深く寄り添う共感です。
「ふざけんなコノヤロー!」という発言も字面をそのまま受け取らずに「イライラしていて、それはもっと暖かみのあるやり取りが必要だからかな?」と翻訳して聴くことができます。
その発言に同調しなくても、共感は可能です。
共感コミュニケーション講座 参加者からの感想
2016年に福岡県下の各地にて「共感コミュニケーション講座 入門編」を実施してきました(糸島、嘉麻、飯塚、直方、豊前、福岡市東区)。
参加者の方々から感想&フィードバックをいただいたので共有します。
自分の地域や仲間と一緒に学びたいという方、お気軽にご相談ください。
概要はコチラをチェックしてくださいね。
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飯塚市・K Aさん
私たちの心は日々色んな感情を体験しています。喜びや楽しさなどのポジティブなものから悲しみや怒りなどのネガティブな感情まで~ころころと動く心。
でも、それを立ち止まってじっくり味わうことはほとんどない気がします。例えば怒りの感情は、味わう前に瞬間湯沸かし器のように相手にぶつけたり、自分の中にしまい込んだり。それは、相手との間に対立こそ生むものの、相手とつながることを阻みます。こういう関係性に結構エネルギーを使ってきたなぁ、と気づかせてくれたのが、今年の初めから学んでいる「共感コミュニケーション講座」でした。
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執着とニーズと
先日、ヴィパッサナー瞑想のコースに入った際に困ったことが起きた。
6人同室なのだが、「いびき」の音が思った以上に大きく、目が覚めてしまう。
何日かはしのげたのだけれども、コース終了の3日前に「大音量」のいびきが聞こえて来る。。。
瞑想の教えの中に「無常」がある。永遠に続くわけではないこの事態。それを思ってみる。少し落ち着く。
んが、いびきの音は全く止む気配なし。これまでの人生の中で聴いた最大音量にして最長の持続性。
はじめは「はぁ~、どうにかならんかね」と思っていたが、だんだんと「この人大丈夫かいな?呼吸のリズムも乱れまくりだし、途中で息が詰まって止まりそうだし、本人も深い眠りになってないだろうなぁ」と。
不思議と慈悲のこころが出てくる。以前なら腹が立っていただろう状況にて、意外と冷静。
内観という手法に触れて
「内観」という言葉を聞いたのは、確か初めてヴィパッサナー瞑想に参加した帰りだった。大雪で全然進まないバスの中で、他の参加者が「内観もなかなか良いですよ」って話をしていた記憶がある。
ヴィパッサナーは徹底的に身体の感覚と呼吸に意識を向けて観察する瞑想法。
潜在意識下の浄化をズドンとやってのけるイメージだ。
なので、あまり意識上のことには関心がなかった。「過去は存在しない。あるのは今だけ。記憶は脳が都合良く編集したもの。」そんな捉え方が自分の中にあった。
この1年ちょっと鈴鹿市にあるアズワンにて「サイエンズ」という手法を継続的に学ばせてもらっている。そのコースの一つに「内観」がある。
「まぁ、順番なので」というぐらいの気持ちで6泊7日のプログラムに参加してきた。
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「正しいか」「間違っているか」を超えたところ
「間違ったことと正しいことという考え方を超えた所に場が広がっています。そこで会いましょう。~Rumi」
この詩はとても奥深いと感じている。
非暴力コミュニケーション(NVC)やサイエンズを学ぶ中で、「正しいか/間違っているか」という枠組みを超えたところに平和の鍵があると感じている。
NVCで捉えると、あらゆる人間の言動は「ニーズ/必要としていること/大切にしたいこと」を満たしたいところに根がある。ニーズは人間が普遍的に持っている要素なので、そのレベルでは正しいも間違っているもない。
ただ、その人の願いや想いがあるだけ。
それをどう満たすかという手段/ストラテジーのところで対立が生じる。
例えば、「つながり」というニーズを満たしたいから「歓送迎会」という手段を取る。その歓送迎会に対して「そんなの時代遅れだ=間違ってる=出たくない」みたいな反応があってもめたりする。
サイエンズで捉えると、私の認識は自分劇場の中の「自分が捉えたこと」「自分の感覚」でしかない。そこに、正しいも間違っているもない。ただ、私はそう認識しているというだけのこと。
「歓送迎会をやりたいなぁ」と思っている人がいて、そこに何か想いがある。それを聞いて「時代遅れだなぁ」と捉えている人がいて、そこにも何か想いがある。
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コアジャッカル/インナーチャイルド
10月8日と9日に友人と組んでコラボイベントをする。
「深い自己共感~身体感覚と呼吸を軸にした癒しと変容」
この中でコアジャッカルやインナーチャイルドを取り扱う。
共感的コミュニケーションの講座をする中で、受講者はこの辺の領域にとても関心が高いことに気づいていた。その流れで企画を組んでみた。
ちなみに、今回のアプローチは身体感覚と共感をベースに過去の痛みや傷に向き合っていくというもの。
けれども、僕自身はトラウマがどうとか、インナーチャイルドがどうとかっていう話には正直ピンときていなかった。何か自分の中にあるのかも知れないけれども、よく分からない。
現状の自分の認識や反応の根っこになっているようなものがあるのかもよく分からない。
そんな状況だった。
講座をやるからには、ハワイで受けた講義や資料に当たって、自分自身で内なるプロセスをしておきたいな~と思っていた。
そう思っていたからだろうか、不思議な経験をした。
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【8月以降】共感的コミュニケーションワークショップ
「同調や同意」ではない、相手のリアリティに寄り添う共感。
それは、相手や自分の身体の感覚、感情、必要としていること(ニーズ)を受け止める共感。
参加してくださった方から「相手の言動にいちいち反応せずに、何を大切にしているのだろう、と思えるようになってきた」「より自分自身のことが分かるようになってきた」といった感想をいただいています。
【各回の主な内容】
①★共感的コミュニケーション/非暴力コミュニケーショ
★「自分に共感する」
②★相手を共感的に聴く練習
③★お互いの人生を豊かにするためのリクエスト
毎回、複数のワークをしながら体験的に学ぶ場になります
これまでの自分や相手、世界への見方が少しでも穏やかな
8月以降のワークショップの予定を整理しました。
一度受けた方の再受講も大歓迎です。
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共感と同調
共感的コミュニケーション(非暴力コミュニケーション/NVC)のワークショップを福岡県下で開催してきた。
WSをしながら感じたことや気づきを書き記しておこうと思う。
参加者に話をすることとも重なるので、WSの雰囲気もつかんでもらえると良いな。
今回は共感と同調の違いについて。
一般的に捉えられている「共感」とはどんなものか?
手元にある岩波 国語辞典を引くと以下が定義されている。
「共感:他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持ち。同感。」
巷でよく耳にするのは「分かる分かる、そうそう、だよねぇ、共感できる~」といった言葉だ。
この共感感覚だと、「自分の捉え方はちょっと違うなぁ」という場合に共感はできないことになる。
これは、見方を変えると共感ではなく「同調」や「同意」だということが分かる。「分かる分かる」という感じで相手と自分の感じていることが同じように思える状況のことだ。
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