内観という手法に触れて

「内観」という言葉を聞いたのは、確か初めてヴィパッサナー瞑想に参加した帰りだった。大雪で全然進まないバスの中で、他の参加者が「内観もなかなか良いですよ」って話をしていた記憶がある。

ヴィパッサナーは徹底的に身体の感覚と呼吸に意識を向けて観察する瞑想法。
潜在意識下の浄化をズドンとやってのけるイメージだ。

なので、あまり意識上のことには関心がなかった。「過去は存在しない。あるのは今だけ。記憶は脳が都合良く編集したもの。」そんな捉え方が自分の中にあった。

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この1年ちょっと鈴鹿市にあるアズワンにて「サイエンズ」という手法を継続的に学ばせてもらっている。そのコースの一つに「内観」がある。
「まぁ、順番なので」というぐらいの気持ちで6泊7日のプログラムに参加してきた。
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「正しいか」「間違っているか」を超えたところ

「間違ったことと正しいことという考え方を超えた所に場が広がっています。そこで会いましょう。~Rumi」

この詩はとても奥深いと感じている。

非暴力コミュニケーション(NVC)やサイエンズを学ぶ中で、「正しいか/間違っているか」という枠組みを超えたところに平和の鍵があると感じている。

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NVCで捉えると、あらゆる人間の言動は「ニーズ/必要としていること/大切にしたいこと」を満たしたいところに根がある。ニーズは人間が普遍的に持っている要素なので、そのレベルでは正しいも間違っているもない。
ただ、その人の願いや想いがあるだけ。
それをどう満たすかという手段/ストラテジーのところで対立が生じる。
例えば、「つながり」というニーズを満たしたいから「歓送迎会」という手段を取る。その歓送迎会に対して「そんなの時代遅れだ=間違ってる=出たくない」みたいな反応があってもめたりする。
サイエンズで捉えると、私の認識は自分劇場の中の「自分が捉えたこと」「自分の感覚」でしかない。そこに、正しいも間違っているもない。ただ、私はそう認識しているというだけのこと。
「歓送迎会をやりたいなぁ」と思っている人がいて、そこに何か想いがある。それを聞いて「時代遅れだなぁ」と捉えている人がいて、そこにも何か想いがある。
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コアジャッカル/インナーチャイルド

10月8日と9日に友人と組んでコラボイベントをする。
深い自己共感~身体感覚と呼吸を軸にした癒しと変容
この中でコアジャッカルやインナーチャイルドを取り扱う。

共感的コミュニケーションの講座をする中で、受講者はこの辺の領域にとても関心が高いことに気づいていた。その流れで企画を組んでみた。
ちなみに、今回のアプローチは身体感覚と共感をベースに過去の痛みや傷に向き合っていくというもの。

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けれども、僕自身はトラウマがどうとか、インナーチャイルドがどうとかっていう話には正直ピンときていなかった。何か自分の中にあるのかも知れないけれども、よく分からない。
現状の自分の認識や反応の根っこになっているようなものがあるのかもよく分からない。
そんな状況だった。
講座をやるからには、ハワイで受けた講義や資料に当たって、自分自身で内なるプロセスをしておきたいな~と思っていた。

そう思っていたからだろうか、不思議な経験をした。
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何でも言える話し合い(サイエンズ)

サイエンズという手法について
自分劇場であることの自覚それを調べるということについて書いてきた。

今回は、自覚や調べるができると何が良いのか?について、感じたことを書いてみたい。
サイエンズを学んでいて、「なるほど~」と思ったのは、これがあると「話し合い」ができるということだった。もちろん、それ以外にもいろいろな側面があるけれども、僕の中では大切なポイントの理解として共有しておきたい。

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「話し合い」なら普段しているよね。
では、その話し合いに以下の要素があるだろうか、ないだろうか?

*「何でも言える安心感」
*「責める/責められる」「批判する/批判される」
*「相手を聴くこと」
*「気づき/洞察」
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自分劇場の一歩先へ(サイエンズ)

サイエンズという手法についての理解〜第二弾
前回は、「なんと、すべて自分劇場でした」という内容で書いた。
「あ、これって自分劇場だわ〜」って気づいて、自分が捉えたことなのだ、という自覚を持つ。
で、そこからどうするか?
サイエンズでは、「自分を調べる」というプロセスに入る。

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先日、友人たちと話をしている中で、僕がした発言に対してAさんから「なんか、すっごい上から目線だな~。Bさんたちの方が上で、Cさんたちはイケてないみたいに聞こえる」と言われた。

さて、自分劇場やいかに!?
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「なんと、すべて自分劇場でした」(サイエンズという手法)

この1年間で、NVC/共感的コミュニケーションと並行して「サイエンズ SCIENZ」という手法を三重県鈴鹿市で学んでいる。
最近注目されている「アズワンコミュニティ」と言うとピンと来る方も多いかな。

サイエンズについて、自分なりの理解を書いていきたい。
NVCを学ぶメンバーや友人達に「こんな手法があるよ」と伝えたいのだけれども、なかなか自分の中で腑に落ちた感じ、言葉にする感覚が得られていなかった。
何となく、この辺が大切そうだな~ということがつかめてきた気がするので、その限りでのシェアをしてみたい。多分、勘違いもたくさんあるし、頭で理解しているだけで本当の意味で腑に落ちていない部分もたくさんあると思うけど。
なので、試みとして。

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【8月以降】共感的コミュニケーションワークショップ

「同調や同意」ではない、相手のリアリティに寄り添う共感。
それは、相手や自分の身体の感覚、感情、必要としていること(ニーズ)を受け止める共感。

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参加してくださった方から「相手の言動にいちいち反応せずに、何を大切にしているのだろう、と思えるようになってきた」「より自分自身のことが分かるようになってきた」といった感想をいただいています。

【各回の主な内容】
①★共感的コミュニケーション/非暴力コミュニケーションの枠組みと世界観の解説
★「自分に共感する」
②★相手を共感的に聴く練習
③★お互いの人生を豊かにするためのリクエスト

毎回、複数のワークをしながら体験的に学ぶ場になります。みなさんからの質問やコメントに沿って学ぶ内容は柔軟に変化させていきます。

これまでの自分や相手、世界への見方が少しでも穏やかなものに変わりますように。

8月以降のワークショップの予定を整理しました。
一度受けた方の再受講も大歓迎です。
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共感と同調

共感的コミュニケーション(非暴力コミュニケーション/NVC)のワークショップを福岡県下で開催してきた。
WSをしながら感じたことや気づきを書き記しておこうと思う。
参加者に話をすることとも重なるので、WSの雰囲気もつかんでもらえると良いな。

今回は共感と同調の違いについて。

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一般的に捉えられている「共感」とはどんなものか?
手元にある岩波 国語辞典を引くと以下が定義されている。

「共感:他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持ち。同感。」

巷でよく耳にするのは「分かる分かる、そうそう、だよねぇ、共感できる~」といった言葉だ。
この共感感覚だと、「自分の捉え方はちょっと違うなぁ」という場合に共感はできないことになる。
これは、見方を変えると共感ではなく「同調」や「同意」だということが分かる。「分かる分かる」という感じで相手と自分の感じていることが同じように思える状況のことだ。
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田植えとイノチの土台

2週間前のことだけれども、今年の田植えが無事終了。
土日の2日間はイベント的に人に来てもらって一緒になって赤米の田植え。
日曜は雨の予報だったけれども、天気も回復し、途中晴れ間も出た。

子ども達が3人来ていて、反応が面白かった。
初めは田んぼの妙な感触とワラワラと出てくるオタマジャクシやアカハライモリ、アメンボなどに驚いていた。「ぎゃー、ムリムリ」といった感じの反応。
けれども、時間と共に環境に慣れたようで、後半は生き物を捕まえたり、田んぼの中を動き回り楽しそうに過ごしていた。
「カエルも捕まえられるようになったよ~」と嬉しそう。
自然に触れることで、野生の感覚が培われる。

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