「正しいか」「間違っているか」を超えたところ

「間違ったことと正しいことという考え方を超えた所に場が広がっています。そこで会いましょう。~Rumi」

この詩はとても奥深いと感じている。

非暴力コミュニケーション(NVC)やサイエンズを学ぶ中で、「正しいか/間違っているか」という枠組みを超えたところに平和の鍵があると感じている。

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NVCで捉えると、あらゆる人間の言動は「ニーズ/必要としていること/大切にしたいこと」を満たしたいところに根がある。ニーズは人間が普遍的に持っている要素なので、そのレベルでは正しいも間違っているもない。
ただ、その人の願いや想いがあるだけ。
それをどう満たすかという手段/ストラテジーのところで対立が生じる。
例えば、「つながり」というニーズを満たしたいから「歓送迎会」という手段を取る。その歓送迎会に対して「そんなの時代遅れだ=間違ってる=出たくない」みたいな反応があってもめたりする。
サイエンズで捉えると、私の認識は自分劇場の中の「自分が捉えたこと」「自分の感覚」でしかない。そこに、正しいも間違っているもない。ただ、私はそう認識しているというだけのこと。
「歓送迎会をやりたいなぁ」と思っている人がいて、そこに何か想いがある。それを聞いて「時代遅れだなぁ」と捉えている人がいて、そこにも何か想いがある。
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コアジャッカル/インナーチャイルド

10月8日と9日に友人と組んでコラボイベントをする。
深い自己共感~身体感覚と呼吸を軸にした癒しと変容
この中でコアジャッカルやインナーチャイルドを取り扱う。

共感的コミュニケーションの講座をする中で、受講者はこの辺の領域にとても関心が高いことに気づいていた。その流れで企画を組んでみた。
ちなみに、今回のアプローチは身体感覚と共感をベースに過去の痛みや傷に向き合っていくというもの。

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けれども、僕自身はトラウマがどうとか、インナーチャイルドがどうとかっていう話には正直ピンときていなかった。何か自分の中にあるのかも知れないけれども、よく分からない。
現状の自分の認識や反応の根っこになっているようなものがあるのかもよく分からない。
そんな状況だった。
講座をやるからには、ハワイで受けた講義や資料に当たって、自分自身で内なるプロセスをしておきたいな~と思っていた。

そう思っていたからだろうか、不思議な経験をした。
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何でも言える話し合い(サイエンズ)

サイエンズという手法について
自分劇場であることの自覚それを調べるということについて書いてきた。

今回は、自覚や調べるができると何が良いのか?について、感じたことを書いてみたい。
サイエンズを学んでいて、「なるほど~」と思ったのは、これがあると「話し合い」ができるということだった。もちろん、それ以外にもいろいろな側面があるけれども、僕の中では大切なポイントの理解として共有しておきたい。

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「話し合い」なら普段しているよね。
では、その話し合いに以下の要素があるだろうか、ないだろうか?

*「何でも言える安心感」
*「責める/責められる」「批判する/批判される」
*「相手を聴くこと」
*「気づき/洞察」
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自分劇場の一歩先へ(サイエンズ)

サイエンズという手法についての理解〜第二弾
前回は、「なんと、すべて自分劇場でした」という内容で書いた。
「あ、これって自分劇場だわ〜」って気づいて、自分が捉えたことなのだ、という自覚を持つ。
で、そこからどうするか?
サイエンズでは、「自分を調べる」というプロセスに入る。

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先日、友人たちと話をしている中で、僕がした発言に対してAさんから「なんか、すっごい上から目線だな~。Bさんたちの方が上で、Cさんたちはイケてないみたいに聞こえる」と言われた。

さて、自分劇場やいかに!?
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