カオハガン島は、セブ島から1時間ぐらい船でいったところ。
日本人の崎山さんが島主で、人口が640名ぐらい。
東京ドーム1個分ぐらいの広さ。
「持続可能な島プロジェクト」や「何もなくて豊かな島」というコンセプトを持っている。
電気は午後5時から11時ぐらいまでのみ。
水は、雨水を利用。ガスはあまり普及していない。薪が基本。
島民は海へ出て魚や貝、ウニなどを採って食べる。
貨幣も入ってきているけれども、基本的に漁に多くを頼った暮らし
縁あって、日本エコプランニングサービスさんから委託を受けて、ツアーコーディネーターとして訪問。「テーマのある旅」の参加者である学生さんたちの学びの落とし仕込みを主に担当しつつ、自分自身もたのしんだ滞在だった。
今回は2週間の滞在。去年も数日下見として滞在したのだけれども、
自分の感じ方も変わったのか、いろいろな点で魅力を感じた時間だった。
圧倒的に広く青い空と海。
日常的に「わーお」とつぶやいてしまうぐらい美しい風景が広がる。
「南の島でのんびり暮らす」というステレオタイプがあるけれども、「ああ、こういうことなのね」と違うレベルで納得感がある。
短期の訪問&滞在者なので、島の暮らしの一面的なところしか理解できていないことは重々承知。
けれども、自然に暮らしを委ね、いのちを委ねている感じのある精神性がどこか心地よかった。
「セブ島に働きに行ったこともある。けれども、町の暮らしは大変だった。お金は入るけどね。カオハガンに居れば、心配ない。お腹が減ったら海に行けば食べ物はあるからね。やっぱりコッチの方が良いよ」とある島民は語ってくれた。
雄大な自然があり、そこから恵みをもらって生きていく。
地球上に色々な地域があるけれども、この南の島は想像以上に面白いと感じてしまった。
農耕民は自然に働きかけて、野菜や米を仕込み、その恵みを待つ。
他方で漁民はある意味で、出かけて行けば自然の恵みが得られるという違い。
漁はそれなりにハードな仕事だし、天候次第なところもある。
けれども、狩猟採集民というか、なんだか、メンタリティの構造が全く違うんじゃないか、と感じている。
島民は「貯め込む」ということをほとんどしないらしい。
「その日することは、別に決まっていない」という文化。
すごくゆったりしていて、穏やかで、平和な環境。
ある日、散歩をしていたら、東屋の下でギターを奏でながら歌う島民。
その横で、ギターに合わせながら歌いつつ洗濯をジャブジャブしている女性の姿。
その光景が圧倒的に美しく、平和そのものだった。
なんだか、良く分からないけど「これはすごい!」と強く感じた。
「そうだよなぁ、人が生きていくって、これで良いんだよなぁ」と。
経済的な指標で見れば、最貧レベルに匹敵するらしい。
家は簡素だし、所有しているものも少ないし、金銭的にリッチでもない。
けれども、島民たちは常に微笑みをたたえ、自然に抱かれながら暮らしている。
だって、豊穣なる海があり、自然の美しさがあり、「お互い様」でつながっている家族や親族がそこにいるのだから。その平和な環境の中で、人々は本当に裏表がなく、純朴で優しく気さくだ。そして幸せに生きている。
もちろん、カオハガン島にも今後の課題や難しい面等もアレコレある。
けれども、それと並行してあるいは上回る上記のような魅力がある気がした。
多様な文化構造を体験することで、「わたしを生きる」ということの幅が広がっていく。どこで、どのように、どんなわたしを生きるのか?
色々な前提を取り払いながら、自分の本質、いのちの本質を生きる。
いやはや、生きるって本当に奥深くて面白い。