サイエンズ的検討会 ルールと世間

サイエンズ的検討会という取り組みを糸島(福岡)にて開催している。

3月は「ルール/規則とは?」、4月は「世間/人の目とは?」というテーマで話し合いをした。10時から15時まで。大の大人が集まって、うーむと唸りながら笑いあり、涙あり、気づきありの豊かな時間。

「ルール」について面白かったのは「いつから、どうやってルールになるのか」という視点。ちょうど、2歳ぐらいの子どもがスケッチブックを踏んづけていた。「ああ、だめだめ、め~っよ」と言いつつ「なんでだめなんだろう?」と疑問がわいてくる。「生まれて始めて経験するルールってどんなんだろうね?」なんて疑問も。

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「これはこういうものだ」「常識だ」みたいな観念が頭の中にあるけれども、「なんで?」って素朴に問うと、意外と「なんでか」は答えられない場合が多い。
「ルールだから守る」というのも、「なんで?」と問うていくと、かなり脆弱だと思えたりする。
「そうなっているから」「それがここでのルールだから」という感じで進む物事があるけれども、実はそこに居る人たちのほとんどが、それを望んでいない場合もあったり。「もう、面倒だなぁ。こんなことは止めにしたら良いのに」と多くの人が思っているのに、検討することが欠けているからか、物事はこれまでのパタンで進んでいく。
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「自由な」働く場@アズワン鈴鹿

最近、注目を集めているアズワンコミュニティ鈴鹿
そこで展開されている「おふくろさん弁当」

紹介動画が二つあります。そんなに長くないので、見てみてください。

NHKで紹介されたもの。職場の雰囲気がよく伝わって来ます。
5分半ほどです。
https://www.youtube.com/watch?v=kA06tn-PzVs

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「友達とお花見に行きたいから早退したい=誰か他の人手伝ってもらえるかな」という想いが受け止められて、実際に代わりに仕事をしてくれる人がいる。
さて、みなさんの職場では、上記の発言が出たらどうなるでしょうか?
あなたの中にはどんな反応が出てきますか?
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自分の内側で生じることのきっかけと原因

「相手の言動は自分の感情のきっかけとなっても、原因にはならない」という理解がNVC・非暴力コミュニケーションのベースになっている。
これは、とても大切なポイントだ。サイエンズ的な視点も含めて、この点について自分の理解をシェアしたい。

よく聞くフレーズに「あの人の言い方で傷つけられた」「本当に人をイライラさせる態度だ」「否定された」などなどがある。
自分の感情の原因は外にあるという発想だ。

サイエンズ的に見てみると、「される/られる」ということ。これって、実際はどうなっているのか?

一品持ち寄りの食事会にチャーハンを持って行ったとしよう。
「このチャーハンちょっとベチャベチャしてるね」という一言を聞いた時、「否定された」という反応が生じないだろうか?

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思考・パタンとコアニーズあるいは本心

僕が今住んでいる土地に春が来る。
大地からたくさんの命が顔を見せ始める。自然の拡がっていくようなエネルギーを感じる。
ここ11年、春が来ると「そろそろ田んぼのシーズンだな」というパタンがあった。
自分の食べる分の米は自分が関わって育てる/育ってもらう。
それを「よし」として、自分の価値にしてきた。
NVC的に言うとニーズとしては、「自立」や「自分で責任を取ること」といったところか。

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コミュニティって何だ?

ここ最近、スカイプや実際に顔を合わせて「サイエンズ的検討」というものをやってみている。
先日は「コミュニティ」について検討してみた。
「そもそもコミュニティって何だ?」ということをゼロベースで調べていく。
一人ひとりが、どのようにコミュニティを捉えているか?

自分の中のイメージとしては以下のような感じだ。
その人がその人の本質を生きること。イキイキしていて、その人の本来持つ能力やセンスを存分に発揮している状態。お互いがそう成れるための人と人とのつながり。それがコミュニティかな。

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サイエンズ的検討会のコーディネート

今、注目を集めている「アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ
ここの「目的は、争いのない幸せな世界の実現です。怒りも争いもなく、罪も罰もない、どの人ものびのびと楽しく暮らせる社会を現実に創ろうと試みているのです」(パンフより)。

どんなところなのか関心がある、行ってみたい、どうしたらそんなコミュニティができるのか?どんなことをやっているのか関心がある。
そんな声がアチコチから聴こえてくる感じがしています。

自分は1年半ほどかけてセミナーから社会を知るためのコースまで一通りの研修プログラムを修了。
アズワンについて、サイエンズについて、ある程度の経験が得られたかなと感じています。サイエンズについて僕なりの理解はコチラのリンクへ。
並行して、身近な仲間たちとサイエンズ的な検討会や研究会を継続して実施し、理解を深めようとしています。同時に非暴力コミュニケーション (NVC)の学びも深めており、少し違った視点やアプローチも自分の中に共存しています。

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人間の考えと実際 社会を知る その2

鈴鹿にてコースに参加中のこと。朝、散歩をしていると、使われていないマンションがあった。会社の寮として使っていたようだ。
かなりの部屋数だが使われている様子がない。
他方で住む場所がなく寒さに震えている人がいる。

食料も世界には溢れているのに、飢える人や不足感を持っている人がいる。

中古車屋さんにはたくさんの車が使われずに置いてある。
車を使いたい人はいっぱいいる。

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一方で何かを必要としている人がいて、他方でそれを提供できる人や環境、資源がある。
けれども、そこにある所有や権利という「考え」が自由な活用を妨げている。

コント/ギャグ/パロディとしての社会そしてワタシたち。
権利、義務、所有、契約、責任などなど。考えが人を縛っていく。
これぞ、自縄自縛。
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「社会」って、そもそも何だ? 社会を知る その1

先日、サイエンズスクールの「社会を知るためのコース」に参加してきた。
少し考えたこと、感じたことをシェアしてみよう。

そもそも、社会とは?
中学時代からだろうか、「社会」は反発の対象だった。社会は自分を縛ってくるもの、制限してくるものという捉え方をしていた。
大学時代にはそれこそ「社会学」も学んだのだが、その中で「社会は共に生きるための領域である」という見方を得た。なるほど、そう捉えると、社会のイメージが柔らかくなる。
そして、「より良い社会を主体的かつ意識的につくっていく存在を市民という」といった見方も知った。その路線で「市民社会」という考え方もけっこう学んだ。
一方で「就職活動」は社会からのプレッシャーだった。自分が社会の求める鋳型にはめられていく感覚。それが嫌で早々に就活はやめてしまった。

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で、今回サイエンズの枠組みで社会にアプローチしていった。「前提」を取り払っていく、ゼロにしていくことで、より本質的に「社会とは?」ということを深めていけたと思う。

コースに出た後に自分の中にある「社会観」はこんな感じだ。
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人生の目的と手段

以下は、アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティにある「サイエンズスクール」の「人生を知るためのコース」に参加した際のレポート。一部を加筆修正して公開してみる。

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これまでの10年は農村に居をかまえて自給的な暮らしを営んできた。米と野菜を自給し(自然からもらう)薪をフル活用し(暖房、風呂、調理など)、なるべく手作りをすることで支出を抑えた暮らし。ここ数年は個人事業主となり、半農半スロービジネスというライフスタイルを自分なりに確立してきた。お話会やワークショップ、コーチング、イベントでのコーヒー販売などを組み合わせた小さなナリワイと暮らし。

で、コースにて問われる。
「私の人生は何をやろうとしている人生なのか」と。
人生の目的は?と。

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