対話で「話し合い」を探究してみた

数日前に隣町の役場スタッフの有志メンバーと「お互いを尊重するコミュニケーションってどんな質?〜そもそも探究会〜」という場を持つことができた。

1ヶ月ぐらい前に「NVC的なことを学ぶ場を持てないか」という趣旨のオファーをいただき、やり取りをしてきた。
その中で見えてきたのは「NVCやマインドフルネスと言われても、何のことだか分からない」ということ。そりゃそうだ〜。
そして「仕事をしていく中で、コミュニケーションや会議のあり方にモヤモヤする部分もある」ということ。

そこで「対話をしながら、そもそも話し合いとかお互いを尊重するコミュニケーションってどんなことなのかを探究する場」を提案してみた。

以下は企画書に書いたテキスト。

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「ストレスや悩みの大半は人間関係とコミュニケーションに起因する」というフレーズがあります。
例えば、「住民のためにと思って働いているのに、クレームがきてガッカリ」
「上司(部下)とのやり取りに、いつも緊張感があって自然体ではいられず窮屈」
「『これ意味あるのかなぁ』という業務内容であっても、なかなかそのこと自体を話し合う雰囲気にならず、無力感を感じる」などなど。

ココが「お互いにとって心地よいもの」であったら、どんな日々が拡がっていくでしょうか?

「否定やダメ出しのない安心できる対話の場」を設けることで、「コミュニケーション」や「話し合い」ということをググっと掘り下げてみませんか? 続きを読む

農村営業から半農半スロービジネスの模索 仕事と暮らし ライフヒストリー

beart つながりぢから探究ラボ
代表:神山 彰(JIN Akila) ライフヒストリー2 (その1はコチラ

【日本行脚の農村営業から赤村移住まで】
農文協は食と農にめっぽう強い出版社。新人は地方営業を担当する。全国各地を動き回りながら、農家に直接書籍の営業をしていく。『現代農業』という月刊誌の定期購読や食育関連の絵本などを紹介して回る。
2年弱で北は秋田から南は鹿児島までたくさんの農山村や町、時には都市を原付バイクで営業して回る経験をした。仕事中はほぼ屋外で四季や天候の変化を肌で感じる時間だった。
大体は3〜5人ぐらいのチームで動いていて、基本的に地域の宿暮らし。月一回は研修があるので東京へ戻るライフスタイル。


京都綾部市さとやまネット(半農半Xの塩見さんが運営している場を休日に訪問)
たまたまアースオーブンの補修をやっていて、お手伝いして、食事もご一緒した。

給料をもらいながらフィールドワークをしているようなもので、いろいろなところに行けるし(観光では絶対に行かない山奥の集落とか)、農家のリアルな現場で話もできるし、食と農に関する情報資源は豊富にあるし、けっこう面白い仕事だった。
ざっと5,000戸ぐらいの農家に出会っているし、200以上の自治体を回らせてもらった。
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誕生から就職まで ライフヒストリー

自分では自分のことやその歴史を知っているつもり。けど、他者から見たら全くの未知。
ワークショップや講座などの仕事をしていく上で、自分がどんな人間なのかの一端を知っていただけたらと思い、ライフヒストリーを書いてみることに。

beart つながりぢから探究ラボ
代表:神山 彰(JIN Akila) ライフヒストリー

【誕生から就職まで】
1977年、母の里である北海道釧路市で誕生。男3兄弟の次男。後藤 彰(2017年に結婚して神山 彰に。養子ではない)。東京・稲城市で育つ。

幼稚園は今で言うオルタナティブな自主保育なのだろう、ヤギ、七面鳥、チャボ、うさぎ、インコなどがワラワラいる環境で過ごした。動物の世話をしたり、田んぼで泥だらけになったり。

小中高は「和光学園」に通う。自由な校風で特に校則もなく、私服でのびのびと学校生活を送っていた。学校が嫌いとか行きたくないと思った記憶はない。
先生方もユニークで気さくな人が多かった印象。
小学校6年生の時に沖縄に平和学習旅行に行き、戦争跡を見たり語り部の話を聴いたり。中学3年の時には秋田に田んぼ体験(稲刈り)+αの合宿に行ったり。高校では受験も無関係に好きなサッカーに明け暮れたり。
学校を通して色々な経験をさせてもらった。 続きを読む

NVC+実践練習会と「在り方」を学ぶこと

今「NVC+ オンライン実践練習会」というものを展開し始めている。
この間、NVC関連の講座をやってみて思うのは「日常で触れて学び続ける」ということがないと「そう言えば、そんなのもあったよね」と忘れ去られてしまう可能性が高いということ。

無理もない。みんな日々の暮らしや仕事で忙しくしていて、NVC的なものに触れる機会がなければ、自然と慣れているモードに戻っていく。
でも、どこか頭の隅で覚えていて、何かの機会に立ち返ることもある。
せっかく時間とエネルギーを使って学びに参加してくれる方々に、「学び続ける仕組み」を提供できたらな、と思っていた。

新しいことを学び、それが暮らしの中で定着するのに、以下の要素が大切だと思っている。
*「知的に理解すること」
*「日常の中で意識してみて、思い切って実践してみること」
*「意識したり実践したりして、どうだったかを振り返ること」
*「仲間がいて、経験をシェアし合えること」

これを全て含めつつ、そこに「気楽さ」と「継続性」を加えた仕組み。
どうしたら良いかなぁ、と思っていた時に手元にある500ページある分厚い本が目に止まった。

NVC Toolkit for Facilitators by Raj Gill, Lucy Leu, and Judi Morin (2009).

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自主的なヴィパッサナー瞑想会

ちょっと前に知り合った隣町の人がヴィパッサナー瞑想者だった。
福岡市内で1日瞑想会があるけども、なにせ遠い。
話の流れで近場で集まって瞑想会をやってみようということに。

先日はその1回目だった。
まずは気楽さと交流を両立させるべく、9時半〜12時半ぐらいで瞑想、そしてその後は持ち寄りでご飯会となった。参加者は僕を含めて3名。

瞑想の部はアナパナ瞑想を30分ほど。
そして、ヴィパッサナーのグループ瞑想(60分ほど)を2回。
古い生徒がアクセスできるゴエンカ師によるガイド音源があるので、それを使ってやってみた。

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プロセスの中で何が生じているのか? パーツワーク&NVCセッションの解説

先日紹介した、自分の「中学生の時の「クールな自分」というパーツに共感する」にまつわるプロセス。
今回の記事は、IFS (パーツワーク)とNVCの視点から上記のプロセスを解説してみたい。
それを通して、セッションの中で何が生じているのか、どんなことをしているのかを把握してもらえるかな、と。

まずは、「パーツ」について。
パーツワークの中では、人には本来的に複数のパーツ(部分)が自分の中にいると捉える。

「人に対して批判的なわたし」「弱い立場の人に優しいわたし」「本音を言わないわたし」「人との関係が面倒臭くなるわたし」などなど。
自分の例で言えば、「身内に対して不機嫌になるわたし」。
これを「自分の本質」「自分の特性」「自分の性格」「不機嫌=自分」とは捉えない。
「不機嫌なパーツ(部分)」が自分の中にいると捉える。
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中学時代の「クールな自分」というパーツに共感:NVC+IFSの内的対話

「パーツワーク」という手法で「自分を見にいく」ということを定期的に仲間とやっている。
パーツワークはIFS (Internal Family System) というセラピーの手法から来ていて、NVCの共感と組み合わさると「自分を見る」「自分に共感する」ということがグッと深まる印象がある。

ある日のプロセスを紹介してみよう。

この日は「自分の中の不機嫌さ」ということをテーマにしてNVC仲間に話を聴いてもらった。「自分=不機嫌な人」というのではなく、「自分の中に不機嫌なパーツがいる」という理解からスタートする。
ちなみに、このパーツは以前にも見にいっていて、「その後どんな感じかな?」というフォローも含めてプロセスに入った。

自分の中の不機嫌なパーツに意識を向けると、以前とは違った身体の領域にそれが居る。右胸の辺り。何だか重苦しい感じがある。
それを感じていると、革製の水袋のようなイメージが浮かんできた。
その水袋は中に水が入っていて重みがあり、それが木の蓋の下に釣り下がっているようなイメージ。
重みで引っ張る形で、内側から蓋をしている。
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