「自然に生かされている」という気付きに近づくために、僕が大切にしていること。
ひとつは、前回書いた「ノイズを減らす」ということ。
もうひとつは、当然だが「自然」の存在。
ノイズから離れたことがない、
常にノイズに囲まれちゃっている人にはなかなか話しが通じない。
ノイズが感じるセンサーを占拠しているし、
ノイズがない状態を経験していないからだと思う。
東京に暮らしている時の僕は正にそうだった。
あの漠然とした閉塞感と不安は何だったのだろう。
ある人とこんな話しをしている時に
「君の言っていることは、分かる。けど、伝わってこない」と言われたことがある。
その時に「経験」ということの大切さを思った。
僕がラッキーなのは、都市も田舎も両方経験しているということ。
ありがたいことだ。
両方に身を置いてみて、やっぱり自然の近くに生きる方が断然良いと感じる。
僕にとっては。
自然は時に牙をむき脅威にもなるが、
僕の経験上は、自然はかなり優しい。
その中で暮らしているだけで、とても安心感がある。
この安心感こそが、「生かされている」という感覚だと思う。
北の国からというドラマの中で、吾郎さんが
「心配すんな。自然はオマエひとりを食わせるぐらい、なんてこたぁねぇ」といった趣旨のことを語っているらしい。
1粒の米粒が2000粒ほどに増えてくれること、
栽培していないのに畑の中にはアレコレこぼれ種から野菜が育つこと、
野草や山菜が季節のリズムと共に顔を出すこと、
自然が恵んでくれるということだ。
感謝は努力して「する」ものではなく、「湧き出る」ものだということが腑に落ちる。
『森の生活』を書いたヘンリー・D・ソローは
「1日最低4時間は大自然の中を歩きなさい」と語っているらしい。
D・スズキは、1日30分意識的に自然に触れること、外に出ることを30日間続けてみようと提唱している。
そこで生じる変化や嬉しさ、愉しさを感じて欲しいという趣旨。
30 × 30 nature challenge (English only)
すごく良い取り組みだと思う。
愉しみながら自然の中に身を置くというのが良いと思う。
その遊び心の中から、発見や理屈抜きの愉しさが湧き出てくると思う。
そして、自然に感謝の気持ちも。
こういった余裕を常に持って生きていたいと思う。
「みんなが、1年ぐらい農村に住んでみると良い」といった発言を読んだ記憶がある。
都市で暮らすよりもコストは低いし、自然に近いところで暮らすという意味でも良いと思う。自治体レベルでそういった受け入れをしても面白いだろうと思う。
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