田植えと祈りと

少し時間が経ちましたが、無事に田植えが終わった。
今年は、苗を育てることがけっこう上手くいった。
「みのる式ポット苗」も良い感じだったのと、
直播きした部分が雑草もあまり生えずにガッチリ良い苗に。

播種のタイミングも良かったのかなぁ。
例年、苗が足りないことが多く、ヒヤヒヤするのだけれども、今年は有り余るぐらい。

6/22には、関係者合わせて5名で田植えのイベント。
当日は朝まで雨が激しく降っていたのだが、晴れ女さん2名の登場と同時に、ピタリと止みました。

5名の大人がモクモクと田植えをすると早い早い。
静寂の中でおしゃべりしながら、お米に関する話もしながら植えていきます。
途中で、しゃべらない瞑想的田植えも。
この時間もすごく良い雰囲気でした。

子どもの頃に田植えを経験して以来という方もいたのですが、
「田植えってたのし〜んだ!!!」と思わず叫んでいたのが印象的でした。
自給用の小さな田んぼであれば、たのしいペースでやることができますね。
「足るを知る」モードでいると、多くのことが良い循環に入っていく印象があります。


作業後の昼食は豊かなおしゃべりの場。笑いの絶えない時間でした。

イベント後には、数日かけて自給用の田んぼの田植え。
こちらも、播種後50日ぐらい経ったガッチリ苗を植えていきました。
今年は、自由な時間が多いこともあり、あまり負担感無く、楽に田植えがやれた感じがしている。

最近、時間や予定にあまり縛られない暮らしのリズムをたのしんでいる。
「さて、今日は何をするかなぁ?」ということも多々あり。
そんな時に田畑に出る時間は「祈り」の時間なのだと気付いた。

こないだも、一部耕さずに自然農的にやる田んぼの部分を設定して、そこの田植えをしていた。
前日には集団的自衛権に絡む憲法解釈の変更が閣議決定されていた。
やるせない気持ちもありつつ、無心で田植えをしていく。
「ああ、これは祈りなんだ」と妙に納得した。

すると不思議なことにカエルが数匹こちらを見ていて、コミュニケーションを取ってくる。
ゲコゲコと鳴くのではなく、ちょっとネコのような鳴き声で「キュ〜」といった挨拶をしてくるではないか。1匹ではなく、何匹も。すぐ近くまで寄ってくる。
こちらも「んん、どうした?」なんて声をかけ、微笑み返しながら田植えをする。

そうしながら、「これで良いんだよなぁ」とすごく大きな安心感に包まれていた。
田んぼという仕組みがあることで、自然やいのちと向き合える。
そこから気付きや安心感を得られる。
そこにとても精妙な時間が流れている。

「これで良いんだよなぁ」と再度つぶやく。


田植から一週間経った様子@赤米田んぼ

ブツブツ交換と優しさ

去年の11月頃にユズがたわわに実ったので、到底使い切れず、困った。そこで、ブツブツ交換を呼び掛けた。
今年の3月には、畑で増殖したキクイモが食べ切れずに大量に余る見込みだった。これも困ったので、ブツブツ交換を呼び掛けてみた。


枝がしなるぐらい実をつけたユズ


短時間でこれだけ収穫できるキクイモ

意外や意外、両方ともに10件以上のオファーが来て、荷造りが大変なぐらいだった。
北は長野から、南は鹿児島まで。
送料を考えると、バカバカしいとも考えられる。
けれども、全国の顔の見える友人&知人から色々なものが交換ブツとして送られてくるのがとても嬉しく楽しかった。

無農薬の野菜の詰め合わせ
無農薬の黒大豆と小豆
味噌と醤油にリンゴジュースに干しリンゴ
こだわりの手づくりお菓子
干しワカメ
オーガニックコットンTシャツに無農薬キュウイ
その人が書いた著書
手づくりドリームキャッチャー
先でボディワークのセッションなどなど。


左から、干しワカメ、手づくりお菓子、オーガニックなお豆さん

こっちもちょっと多めに入れるけど、相手もちょっと多めに入れてくれたりして。
「こりゃもらいすぎですわ」とお互いが思っている節があって、それまた面白い。

差し出すこと、贈与することって本来的にすごく気持ちの良いことなんだなぁ、と実感。
そもそも、ゆずもキクイモも自然が差し出してくれているもの。それを「自分のモノだ」と主張すること自体が、ちょっと変にも思えてくる。

だって、ユズなんて、ほとんど何の手入れもしていないんだよ。キクイモも放ったらかしでザクザク収穫できるし。この点だけ考えても、自然界は豊かさ、優しさ、あるいは愛に満ちている。
その優しさを媒介にして、受け取る優しさもまた嬉しく暖かいものなのでした。

手づくりドリームキャッチャーは僕が良い夢をキャッチできるようにと想いを込めてくれたとのこと。良いことありそうです。

在り方への気付き その2 それは突如やってきた ヴィパッサナーにて

>>前回からの続き

コースマネージャー経由で、先生に「足音や自分が立てる騒音に配慮して欲しいと生徒に伝えて欲しい」と言ってもらった。
僕としては、この自分が取るアクションで「コースに静寂が立ち現れ、コース自体の質が高まる」と、良い事をした気になっていた。

しかし、先生からの返事は「寛容さを養う良い機会」という返事。
「なんだって???分かってないなぁ。ヴィパッサナーの目的は、心を浄化して、愛を生きることだろ。この雑音状態は、そこからかけ離れている。その学びの機会を生徒に提供しないのか?なんて指導者だ。ふざけてる。。。。。」などなど、頭の中は批判意見の大合唱。瞑想をしていても、全然集中できない。「よ~し、あの先生に何を言ってやろうか。あるいは、具体的な解決方法はあるかなぁ。「階段の上り下りに愛を」といった紙を一枚貼ってもらうだけでも良いんじゃないか。何なら、自分で作るか。。。」などなど。
瞑想しながらの止まる所を知らない妄想大会である。

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「在り方」への気付き その1:ヴィパッサナーコースにて

高校生か中学生の時に、あるTV番組でこんな紹介があった。
「タイでは普通のサラリーマンが3ヶ月間に渡り僧院生活をして、托鉢をしたり、瞑想をしたりする。そういったことが文化としてある」といった内容だった。
その時に、「良いな〜。僕がタイ人だったらそれを経験したい!」と強烈に思った。

今回2度目のヴィパッサナーに参加して、この仕組みはかつて自分が「良いねぇ!」と感じたものと似た仕組みだと理解した。

ヴィパッサナーの10日間コースの間、明確に戒律が設けられ、それを遵守することになる。シーラー:戒だ。
1 いかなる生き物も殺さない。
2 盗みを働かない。
3 いかなる性行為も行わない。
4 嘘をつかない。
5 酒や麻薬などを摂取しない。

コース参加2度目以降の生徒には次の3つも付け加わる。
6 正午以降食べ物を摂らない。
7 娯楽を行わず、身体装飾をしない。
8 ぜいたくな、あるいは高い寝台で眠らない。

そして、生活は非常に規則正しい。朝4時に起きて、4時半から瞑想がスタートする。食事は1日2食+ティータイムがある。食事に付随したちょっと長めの休み以外はけっこうタイトなスケジュール。瞑想と瞑想の間には5分程度のトイレ休憩があるだけ。それが、夜7時頃まで続き、締めくくりは録音音源による講話を聴く。そして、夜9時半には消灯という一日。トータルで10時間半ぐらい瞑想する時間がある。瞑想三昧である。

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電磁波お話し会 好評でした

24日に「電磁波お話し会」を五福さん@福岡(マクロビオティック料理教室)でさせていただきました。
ブログに報告を書いていただいたのでシェア。
「うふふな日々 電磁波対策しましょ!」

マクロビオティックで食事に気を使い出すと、
添加物はもちろん、電磁波にも関心が向いてくるそうです。

意識していないと、特に都市に住んでいたら、四六時中被曝している危険性もある。
街中は電磁波で溢れているから。

日本の電磁波規制値は、「ただちに影響はない」という論理で、
放射線と並んでかなり緩いので、自衛するしかないのです。

なので、家の中で自衛する方法を主に説明。
簡易のアース作りも伝授しました。

簡単に手づくりできるんだけれども、あの場の説明で、みなさん分かったかなぁ。
当日参加してくれた友人はさっそく家に帰って作ってみたとのこと。
こうして電磁波への理解と対策が広まることが嬉しい。

けれども、根本的には電気を使い過ぎ、過敏な人に配慮しない社会をどうにかしていく必要があるよね。
今日は、珍しく都会に出ていたのだけれども、電車に乗っているだけで、周囲がスマホにケータイのオンパレードで、その影響か頭が痛い。。。

次回は3月9日@五福さん。まだ、席に少しの余裕があるようです(詳細はコチラ)。
この日には即席アースをいくつか完成させて持っていこうと思います。

24日は美味しいおにぎりとお味噌汁付きでした。
9日はスイーツ&ドリンク付きとのことです!

この日の参加者の方から依頼を受けて、幼稚園のママさん達にお話し会を実施する運びになりそうです。
10名以上集まれば、出張しますので、お気軽にお声掛けくださいまし〜。

写真は五福さんから拝借しました。感謝。

2度目のヴィパッサナー瞑想

先日、3年振り2度目のヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加してきた。
3年前は初参加で、ついていくのがやっとだったこともあり、どれだけ理解が浅かったかを今回痛感した。裏を返せば、今回は非常に深い経験と理解になった。

「「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。」(日本ヴィパッサナー協会HPより)

自分の呼吸、身体感覚、こころや思考の動きをありのままに見る、観察するのがヴィパッサナー瞑想。その目的は「こころの汚濁の浄化」とされている。
「人間全てに共通する病」とはこころの汚濁が生み出す「反応」のことだ。

例えば、顕在意識では「人に親切にしたい」と思っていても、実際には「ついつい妬みや批判意識が出てきて親切にできない」という経験がないだろうか?
「ついつい」は「反応」であって、その人の本質ではないのだが、「どうして自分は思っていることを具現化できないのだろう」と悩んでしまう。そして、往々にして、そんな自分を批判したり、反応しないように努めたりする。が、それは「ありのまま」に見ることからは外れている。

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もう、次の展開は始まっている(お話し会の報告)

先日、兵庫県三田市にある「ギミー・シェルター」という友人がやっているカフェにてお話し会をさせてもらった。

「半農半スロービジネスという生き方 脱モアモア教へ向けて」というタイトル。
兵庫というあまり縁がない場所でのお話し会。果たして人が集まるのかな、と思っていたら、カフェ店主のネットワークもあり、21名が参加してくださった。
会場はギュウギュウ詰め。とっても嬉しかった。

事前に参加者の情報として「既に農的なことを実践している方が多いです」と聞いていた。けれども、僕の話しは「半農半スロービジネス」のノウハウではない。その根底にある、生き方、在り方の部分をたくさん話し、視点を提示するつもりでやっている。だから、あまり不安はなかった。

このお話し会では、主に「何で僕がスローライフ、半農半スロービジネスということを展開しているか」という理由を話す。それから、具体的にどんなことをやっているか、ということを話す。
前半部分は抽象的な話しもあるけれども、社会の仕組みや考え方の枠組みなどを本質的に問うていく。哲学的・思想的なことも話しの中に盛り込む。

恐らく、多くの人は普段あまり触れないか、何となく意識しているぐらいの領域だと思う。
僕は我ながらガンコなので、この軸を大切にしている。
思うに、この部分が曖昧だと軸がブレる原因になると思う。
そして、モアモア教(お金が大切、経済成長ドンドン路線、大量生産&消費&廃棄etc)に絡め取られてしまうのじゃないか、と思っている。
サティシュ・クマールさんら先達のメッセージも借りながら、伝えたいことをストレートに届けている。

「めっちゃ、面白かったっす!」
「予想外に深い話しで、とても良い時間でした」
「普段の生活の在り方についてなど、揺さぶられる話しが多く、考えさせられました」などなど、好評でした。

お話し会の後の交流の場でも色々と情報交換や意見交換ができて愉しい時間だった。
参加者の中にはかなり自給率の高い人、大きめに農をやっている人などもたくさんいて、「世の中の流れのひとつ」を大いに感じることができた。
この流れにしっかりと「在り方の哲学」とでも言おうか、思想的なエッセンスを組み込みたい。
「もう、次の展開は始まっている」

このテーマのお話し会
いろいろな所でやりたいと思っています。
4月上旬に関東に出る予定があるので、
関心のある方はぜひお声掛けくださいね。

ナリワイとしての学びの場づくり

ここ最近、ありがたいことに、お話し会の講師の依頼をいただいている。
テーマは、半農半スロービジネス、電磁波、食品添加物、自然農などなど。新宮町で話した内容への反響からすぐ隣の古賀市でお話しさせてもらったり。

専門家を呼べば高くつく講演会。専門家ではない僕のような人間が、その領域についてそこそこ詳しく調べ、多角的に情報を整理し、実体験を伴って理解していることを伝えていく。目線が参加者とそこまで変わらないので、聞く方も気楽で良いのかもしれない。

自分の中で深化させていきたいお話し会。もう少しワークショップ的な要素を入れ込んだり、フリートークのファシリテーションをしたり、自分で学ぶということへつなげていったり、体験的に学ぶということを用意したり。自分なりに質を高めていきたいのでアレコレ妄想している。

思えば、大学時代から興味のある領域の情報をまとめて、自分の視点でまとめて発信するということをしてきた。学術的な領域を出てかなりの時間が経っているけれども、やっていることには大差がない気がしている。

幸い僕はビンボーヒマ有りなので、たくさん本を読む時間がある。逆に、そうそう本を読む時間などない、けれどもより良く生きたい、そのためにいろいろ理解したいという人は多いと思う。ある意味で、僕は通訳あるいは編集という役割を持っているのかな、と思っている。
ここで意識しているのは「消費される学び」ではなく、「価値を作り出すための学び」ということ。ここでの価値は、その人が自分自身や社会に対する新しい認識や気付きを得たり、行動が変わっていったりするという意味。
そういった場をどう作るか、そんなことを事前にアレコレ考えて準備するのが至福の時間だったりする。
「ゔぁ!この資料を見せたら面白いね!」「そっか、ここでこの動画を見てもらおう♪ふふふ」なんてひとりで盛り上がっている。。。

世の中をより良く理解しより良く生きるために学び、それを人と共有し、感じて、考えて、行動を変化させるキッカケを提供し、その場やプロセスからまた自分も学ぶ。
学びの場づくり。このナリワイ、なかなか気に入っております。

食を断つ

敢えて「食べない」という行為を通して「食べる」ことを見つめ直す。
僕にとっての断食とはそういったもの。

今年で7回目の60時間断食が終了した。
最初の2年は断食道場での合宿に参加していたが、途中から
「ひとりでやれるのでは?」と思いアレコレとリサーチ。
2回の経験もあるし、何とかなるな、と思い、その後は自分一人で自宅でやっている。

敢えて食を断ってみるという「行為」が意外と新鮮で発見も多い。多くの人に経験して欲しいと思う。

僕の場合は、大晦日から食を断つ。元旦も抜いて、2日の午前中に軽く食事をする。トータルで約60時間「食べない」。
お茶(身体を温める番茶など)と塩は摂る。
人間この程度の水分と塩があれば、数日は生きていけるというリアルな経験にもなる。

「食べない」ことをしつつ、
1年を丁寧に振り返ったり、
読書をしたり、
気になっていたネットの動画や映画を見たり、
瞑想をしたり、
日記を書いたり、などなど。
僕は、かなりマイペースにゆっくり過ごす。
そして、たっぷりの睡眠。たくさん眠ると、その分「食べない」ことへの意識を使わなくて済むし。意外と、夢の中は「食べる」ことオンパレードだったりもするけど。

もちろん、辛さもある。
だるさが強いし、身体のどっかしらが痛くなったりするし、
やっぱり食べたいし、動きたくなくなるし、
世間は御節で乾杯なわけで。。。
けれども、「これがずっと続くわけではない」と分かっていれば乗り越えられる。

「わざわざ正月にせんでも」と良く言われる。実は、僕も少しそう思っている。けれども、まとめて3日間あまり外部から干渉されずに時間を確保できるタイミングって意外と少ない。正月はその点、もってこいなのだ。

60時間「食べない」を続けた後の、食事は「ふろふき大根」「梅干し」「生野菜」が欠かせない。リサーチした時にこの情報を見つけて、それ以来、このメニューでやっている。ちょうど、畑に大根があるのでちょうど良い。

ふろふき大根のスープを口にした時の、何とも言えない安心感と暖かさ、味の奥深さは感動的だ。
そして、体中にエネルギーが満ちてくる感覚が毎年新鮮。
「食べ物がいのちの源なんだ」ってことが、正に「腑に落ちる」瞬間。
そして、「いのちでいのちが生かされている」というシンプルな気付き。

「2日断ったら、倍の日数をかけて通常食に戻す」というのが鉄則らしい。断食明けは、「餓鬼道」に陥り易いので注意するように、と断食道場では再三注意をされた。
僕の場合は、玄米がゆから始めて、野菜のスープなどシンプルなもので戻していく。といっても、いつも僕の食卓はシンプルな野菜料理しかないのだけども。

断食をすると、ビックリするぐらい違うのが肌のスベスベ感。
朝、顔を洗う時に驚くほどスベスベしている。
そして、僕の場合は嗅覚が特に鋭くなる。味覚ももちろん。五感が冴えるのだ。
排毒作用もあるので、身体にもすこぶる良い。

「生きる」根っこにある「食べる」ということを、敢えて「食べない」ということで見つめ直す断食、お勧めです。
地球上には社会状況によって「食べられない」人がいることも意識しつつ、
飽食ニッポンで「足るを知る」ということをリアルに体感する時間にもなる。