嘆きをコミュニティで受けとめる

前回書いた共生革命リトリートの中でのひとつのテーマは「痛み/嘆き」だったと思う。
人は誰しも生きる過程でさまざまな「痛み」を抱える。それはその人にとっていろいろな意味合いを持つ経験だ。

リトリートではジョアンナ・メイシーが体系化した「真実のマンダラ」という儀式的なワークを執り行った。個人的には3回目の参加だったが、今回を含めどの場でも「自分自身が嘆きを表現する」ということはあまりピンとこない。
その場にいて、何か浮かび上がってくるものもあるのだが、それを思考でやっている感じもあり、表現しようというところまでいかなかった。それはそれでマインドが自己規制しているのかなぁ、と自分を見つつ。

今回の収穫としては、参加者の多様な嘆きを聴きながら、それが「私たちの嘆きである」という感覚が明確にあったこと。

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共生革命リトリート

NVC(非暴力コミュニケーション)関連の仲間たちが企画してくれた「共生革命リトリート@パーマカルチャーと平和道場」というものに参加してきた。

企画自体は知っていたし、気になってもいたけど、今回が初参加(リトリート自体は6回目ぐらいだったと思う)。
思えば、日本語メインで開催されるこうしたリトリート(合宿)に参加するのは初で新鮮な感じだった。
しかも、パートナーと共に1歳児連れ。
総勢30名以上のコミュニティでの6日間。

今回は特に「暮らしを共にする」という側面が強かった。
食事を一緒につくり、鍋や皿を洗い、コンポストトイレの処理をして、薪を拾い集めたり、掃除をしたり。ともすれば外部に頼んでしまうことを、コミュニティとして一緒になってやってみるという実験&冒険。

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自分の中で何が生じても歓迎する=非暴力

昨日はオンライン講座「自己共感というアート」の2回目。
NVCとマインドフルネスを軸にクラスを組み立てている。

今回のクラスは「ニーズにつながること」と「自己共感」の2本立てで学びを展開。少人数でやっていることもあり、質疑も含めてライブ感を個人的には楽しんでいる。

講座のために資料を読み返していて「これは伝えたい!」と思ったことのお裾分け。

NVCの基本的な考え方のひとつに「相手の言動は自分の感情のきっかけにはなっても、原因にはならない」というものがある。(関連記事「自分の内側で生じることのきっかけと原因」
自分自身の中で何かが反応を起こしている。その反応の奥にあるいのちのエネルギーとしてのニーズが言ってみれば原因。
そのニーズが満たされていると心地よい感情が出てきて、満たされていないと不快な感情が出てくる。
なので、感情を手掛かりにしながら、自分の内側で何を切望しているのか、願っているのかにつながっていく。ざっくり言うとそれが自己共感。自分自身の内的体験に寄り添うこと。

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NVCの自己共感と瞑想の重なるところ

この間、自分はヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)を軸にしていたのだけども、少し他の瞑想も学んでみようとしている。
それは、人にマインドフルネスを伝える際にどういったアプローチが分かりやすく、楽しく、実用的かを探究したいから。

そんな流れで、ここ数日マインドフルネス関連の音源を聴いたりティク・ナット・ハンの本を読んでいるのだが、なかなか面白い&興味深い。

ティク・ナット・ハン『ブッダの<気づき>の瞑想』という本を読み進めている。
ヴィパッサナー経由の理解&経験と合わせていくことで、なんだか理解がぐっと深まる印象がある。本の中で紹介されている経典をベースにした7日間の瞑想コースもあって、それにも参加したことがある。コースでは経典を瞑想体験を通して腑に落とすとても密度のあるものだった。


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