在り方への気付き その2 それは突如やってきた ヴィパッサナーにて

>>前回からの続き

コースマネージャー経由で、先生に「足音や自分が立てる騒音に配慮して欲しいと生徒に伝えて欲しい」と言ってもらった。
僕としては、この自分が取るアクションで「コースに静寂が立ち現れ、コース自体の質が高まる」と、良い事をした気になっていた。

しかし、先生からの返事は「寛容さを養う良い機会」という返事。
「なんだって???分かってないなぁ。ヴィパッサナーの目的は、心を浄化して、愛を生きることだろ。この雑音状態は、そこからかけ離れている。その学びの機会を生徒に提供しないのか?なんて指導者だ。ふざけてる。。。。。」などなど、頭の中は批判意見の大合唱。瞑想をしていても、全然集中できない。「よ~し、あの先生に何を言ってやろうか。あるいは、具体的な解決方法はあるかなぁ。「階段の上り下りに愛を」といった紙を一枚貼ってもらうだけでも良いんじゃないか。何なら、自分で作るか。。。」などなど。
瞑想しながらの止まる所を知らない妄想大会である。

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「在り方」への気付き その1:ヴィパッサナーコースにて

高校生か中学生の時に、あるTV番組でこんな紹介があった。
「タイでは普通のサラリーマンが3ヶ月間に渡り僧院生活をして、托鉢をしたり、瞑想をしたりする。そういったことが文化としてある」といった内容だった。
その時に、「良いな〜。僕がタイ人だったらそれを経験したい!」と強烈に思った。

今回2度目のヴィパッサナーに参加して、この仕組みはかつて自分が「良いねぇ!」と感じたものと似た仕組みだと理解した。

ヴィパッサナーの10日間コースの間、明確に戒律が設けられ、それを遵守することになる。シーラー:戒だ。
1 いかなる生き物も殺さない。
2 盗みを働かない。
3 いかなる性行為も行わない。
4 嘘をつかない。
5 酒や麻薬などを摂取しない。

コース参加2度目以降の生徒には次の3つも付け加わる。
6 正午以降食べ物を摂らない。
7 娯楽を行わず、身体装飾をしない。
8 ぜいたくな、あるいは高い寝台で眠らない。

そして、生活は非常に規則正しい。朝4時に起きて、4時半から瞑想がスタートする。食事は1日2食+ティータイムがある。食事に付随したちょっと長めの休み以外はけっこうタイトなスケジュール。瞑想と瞑想の間には5分程度のトイレ休憩があるだけ。それが、夜7時頃まで続き、締めくくりは録音音源による講話を聴く。そして、夜9時半には消灯という一日。トータルで10時間半ぐらい瞑想する時間がある。瞑想三昧である。

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2度目のヴィパッサナー瞑想

先日、3年振り2度目のヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加してきた。
3年前は初参加で、ついていくのがやっとだったこともあり、どれだけ理解が浅かったかを今回痛感した。裏を返せば、今回は非常に深い経験と理解になった。

「「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。」(日本ヴィパッサナー協会HPより)

自分の呼吸、身体感覚、こころや思考の動きをありのままに見る、観察するのがヴィパッサナー瞑想。その目的は「こころの汚濁の浄化」とされている。
「人間全てに共通する病」とはこころの汚濁が生み出す「反応」のことだ。

例えば、顕在意識では「人に親切にしたい」と思っていても、実際には「ついつい妬みや批判意識が出てきて親切にできない」という経験がないだろうか?
「ついつい」は「反応」であって、その人の本質ではないのだが、「どうして自分は思っていることを具現化できないのだろう」と悩んでしまう。そして、往々にして、そんな自分を批判したり、反応しないように努めたりする。が、それは「ありのまま」に見ることからは外れている。

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