マインドフルネスとNVCの接点

10/15に「気づきの根っこ〜マインドフルネス×共感コミュニケーション」という企画を組んでいる。NVCとマインドフルネスを融合させた企画。どんな想いで何をやろうとしているのかを発信してみたい。

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6年ぐらいに渡ってヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)に通っている。ここ2年は年越しで10日間コースに入っている。
おかげさまで、ほぼ毎日坐ることができるようになっている。「絶対にやめられない」と思い込んでいたお酒にも全く関心がなくなった。「全ては移り変わる」という理解の中で、執着することから離れる感覚も持てるようになっている。
とは言っても日常の中で瞬間的に怒ることもあるし、瞑想できない日があったり、自分の中に荒いエネルギーが出てくることもある。最近はパートナーと同居し始めたので、出てくる出てくる自分の醜い部分。。。まだまだ不完全な中で、一歩一歩歩みを進めている感じだ。

何年か前の10日間コース中に、食事を見て「料理をしてくれた人の愛が溢れている」と感じた自分がいた。
休憩時間に庭を散歩していて感じる太陽の暖かさ、凛とした空気の冷たさ、寒い中でも咲こうとしている花の存在。「ああ、世界は愛でできているんだなぁ」と思考のレベルではないところで、深く納得したのを覚えている。
また、瞑想をする中で、「今この瞬間を生きる」とはこういうことか!という感覚も得ている。過去を悔やみ未来を憂う思考/マインドから距離を取るには、呼吸と身体感覚に意識を向ける。それがマインドフルネスという状態。10日間コースで経験できる領域は、かなりの質を持っていると思うし、回を重ねるごとに深みが増し気づきの幅が出てくる。
私見だけども、世俗の人が集中して瞑想を学ぶ、いのちの本質に触れる、こころの深層を浄化するプログラムとしては、ヴィパッサナー瞑想はずば抜けているし、本物だと感じている。

自分の中をクリアにしていく一方で、社会の中では人との関わりが避けられない。
気持ちに意識を向けること、そこから人との関係性を作ることにも関心を持ってきた。
そんな中でNVC(非暴力コミュニケーション)に出会って2年半ぐらいがたっている。
今まで自分がしてきて、自身や相手を苦しめてきたコミュニケーションのパタンがある。今でも抜けきっていないが、アドヴァイスをしたり、相手に共感するのではなく自分の見解を述べたり、批判したり、結果に執着して物事をジャッジしていたり。
これでは、相手との間に暖かいつながりは生まれず、溝が広がっていく。「自分は人と何かをしていくということは向いていないのだ。面倒だから一人で生きていこう」と思った時期もある。
こういったパタンの奥には「正しいか/間違っているか」「〜すべき/すべきではない」「当然〜だ」といった「思考」や「執着」とそれを土台にした自分の在り方がある。
それを自覚した上でそうではないところへシフトしていくこと。
「NVCはコミュニケーションの形を取ったスピリチュアリティの実践である」という言葉があるが、まさにその通りだと思う。

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善悪を超えたところ、マインドの世界の外で、お互いのありのままを尊重するコミュニケーション。
その中心に、人の中にあるいのちのエネルギーとしてのニーズがある。
NVC創設者のマーシャルはニーズを「神の現れ」として捉えているようだ。自分の中、相手の中にある神聖なエネルギー (divine energy)、あるいは神。そこでつながっていくこと。
NVCの土台にはスピリチュアルな領域、マインドフルネスがしっかりと位置付けられている。

今、ここを生きるということ
マインドの外の領域に在るということ
そこからお互いを思いやるやり取りをしていくということ

これらのエッセンスが出会う領域を体感できるワークショップの場にしたい。
今、いろいろな資料を読んだり、自分の経験を整理しながら、15日の中身を詰めている。
そのプロセス自体が面白く、至福の時間だったりもする。
入り口を垣間見るだけかも知れないし、ズドンと深いところまでいけるかも知れない。
Zen in Action というシリーズの中で場を持たせてもらうので、その場かぎりで終わらない流れがあるのも嬉しい。僕自身もこの領域は今後も色々な形で展開していく。
企画の当日は、集った一人ひとりと自分との相互作用で場が立ち上がってくる。どんな場になるか、楽しみ。
NVCやマインドフルネスを知らない人でも、気楽さや笑いも大切にしつつ、一人ひとりの中にある本物さを体感できる場にしたいと思っています。
気軽に参加してください。