自分の中を見る NVCとIFSと

「自分の中を見る」ということを、ここ最近やっているのだが、一体どんなことなのかを書いてみたい。
NVC(非暴力コミュニケーション)に加えて、最近学んでいるのがIFS(Internal Family System) という手法。日本語だと「内的家族システム」と訳されるみたい。
思い切った意訳をすると「わたしの内にある関係性とシステム」と言えるかな。

単純化すると、「わたし」の中にいろいろな特徴や役割を持った複数のパーツ/部分が存在している。全てのパーツは一生懸命に「わたし」という全体に貢献したくて動いていて、ポジティブな意図を持っている。

「怒る」、「ついつい嫌味を言う」、「相手を批判したくなる」「ダラダラとyoutubeを見てしまう」みたいな自分の中の動きも「パーツ」の働きと捉えることができる。
そのパーツにどんな感情や意図、ニーズがあるのか、そこにどんな歴史や経験があるのかをセルフ(魂の質)から聴いていく、共感していく。
話を聴く際に、パーツから距離を取るところが、この手法のひとつの鍵。

NVCの自己共感だと、パーツを「わたし」としている場合が多い。例えば「緊張する」自分に共感して、「そうだよね、もっと気楽さが必要だよね」と。
「緊張」=「わたし」という構図。パーツが「わたし」と同一化している。
それが進むと、「私は緊張し〜なんですよ」みたいな自己理解にもなり兼ねない。

一方、IFSの枠組みから見ると、「緊張しているパーツがいるんだよね」となる。その時に、セルフはパーツとは同一化しておらず、「緊張」=「わたしの一部」となる。
そして、「緊張」という反応をするパーツにはどんな経験があるのか、どんな痛みや悲しみがあるのか、どんな意図があるのかをセルフから聴いていく。ここは不思議さもある内面での対話だ。
内的対話が進む中で「緊張」のパーツは共感を受け取れてリラックスし、緩むことができる。
そのプロセスで、背負っていた感情を手放したり、担っている役割から解放されることもある。

パーツは固定された本質ではない。共感があることで、変容していく。
すると、「わたし」というシステムがより調整され、調和の取れた状態になっていく。

NVCの自己共感だと、「緊張」に一時的な共感をするところに止まることが多い印象がある。なので、繰り返し共感が必要になる。
感覚的に深くいける場合もあるけれども、その道筋はそこまで明らかではない感じだ。

IFSの枠組みを使うことで、「わたしの内にある関係性とシステム」自体が調和の取れた状態にシフトしていく。その道筋が明確で、「なるほど、こうやって自分の内側で対話をしていけばいいのか」ということがつかめる感じがある。

やや抽象的な解説で、伝わりにくいかも知れないので、次の記事で自分の中で生じているプロセスを共有してみたい。
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