わたしというシステムの中を見る「緊張する部分」

先日、自分の中で生じたことをIFSのプロセスに沿って深く見つめてみた。

初対面の人とやり取りする中で、自分に「緊張」する反応があった。
その時には、あまり緊張という自覚がそこまでなかったのだが。

その人と離れてから、自分の頭の中は「その人をどう理解したものか?」とぐるぐる思考をしている。
何かと理由をつけて、「こういう人だ」とラベルを貼りたがる。
そして、「そういう人だから」と距離を取ろうとし始める自分がいる。

その後、なんだか気分が重く、その人からのメッセージが入っていることを認識しただけで、身体に力が入るような状態。

これは何が生じているのか?と自分の中を見に行くことにした。
ありがたいことに、NVCも学んでいる共感仲間にじっくり80分ぐらい話を聴いてもらった。その中で、自分の内側にあるシステムについての理解がぐっと深まった。

以下はそのプロセスの内容を言葉にしたもの。
「自分よりも知識や経験がある人」と捉えた時に、自分の中に収縮が生じる。
胸のあたりが重苦しくなる。
「そういう人から批判されないように、責められないように、気をつけておこう」という感覚も出てくる。
「常に警戒が必要だ。負けないように、もっと力をつけるんだ、もっとトレーニングをしろ」という声も出てくる。

これらの感覚や声は普段は明確には意識にのぼってこない。
けれども、自分の中にそういうパーツが常に存在している。

ここで、NVCの共感だと「なんだか落ち着かない感じと緊張があって、もっとこころの平安が必要なんだよね」となるかも知れない。
そして、こころの平安を満たすために、その人から距離を取るという戦略を取る可能性が高い。
僕の中ではその方向に傾きかけていた。

パーツワークの手法を使って、「常に警戒が必要だ」と緊張しているパーツの声を聴いてみた。
「警戒していないと、負ける。やられちまうんだよ」といったことを言っている。
感覚としては、びくびくと怯えているような質がある。
ちなみに、この感覚は日常ではあまり意識できていない。

その感覚にどっぷりと浸っていると、高校生の時の感覚と記憶がふと浮かんでくる。
部活でひたすらサッカーをやっていたのだが、自分は身体が細いこともあり、チームもそこまで強くなかったし、試合となると何かと緊張していた。
自分と比べ物にならないほど身体が屈強な相手選手。
こっちがいくら一生懸命やってみても、かなわない。

そこにある心細さ。不安。緊張。
その経験とそこにある感覚を感じつつも、それにどっぷり浸かり飲み込まれるというよりは、少し距離をとって感じている。

1日に3〜4試合ぐらいをこなす「試合合宿」なるものがあった時の情景が浮かんでくる。
体力的にも限界な状態で試合をこなしていくのだけども、いっこうに勝てない。
走り回って、疲れて、負けて、みたいなことが続いていた。

ある試合が終わった後に、「こんなにやってんのに、ダメなのかぁ」と試合後に芝生に倒れ込み、思わずむせぶように泣けてきた自分がいた。
情けなさ、悔しさ、悲しさ。
制御できない感じでひっくり返って泣いていた。
その時に、自分の気持ちを自分でもしっかり受け止められなかった。
周囲も「大丈夫だよ、まだ次がある。がんばろうぜ」的な対応だったと思う。

20年以上前の出来事だけども、その時の感覚や感情が今の自分の中に存在している。
抑えがきかずに自然と泣けてくる感じ、胸の辺りが震えるような感覚。
その感覚と感情と共にいてみる。
自分の中のエネルギーとして、その波動・感覚と共にいる。

当時は「あれ、なんで泣いてんだ」みたいな感じもあったし、「ちくしょー、次がんばるぞ」みたいな感じもあったのだと思う。
その悲しみ自体に浸れていなかった。
今回は「こんだけがんばって、練習もして走り込みもしてんのに、勝てない、結果が出ないという状況で、本当に絶望的だし、無力感があんだよねぇ。本当に悔しいんだよねぇ」と寄り添える(この場面ではNVCの「感情とニーズに寄り添う共感」がとてもパワフルに作用する)。
そして、そこにある感覚をじっくり身体を通して味わう。

しっかり浸った後で、「その時に、どんな質のことを願っていたのか?どんなことがあったら良かったのか?」ということをその時の自分の感覚(パーツ)に聴いてみる。

「努力したことが結果につながって(試合に勝って)、明るくチームでお祝いしたかった。負けないために、と緊張から練習したり、力をつけたりという感じではなくて、単純にサッカーを楽しみたかった。」

思い返せば、すべての試合に負けていたわけではない。練習だって楽しくやっていた部分もある。素敵な仲間もたくさんいた。
けど、全体を覆うトーンとしては「勝てない/かなわない」という感じが自分の中で強く形成されていたようだ。
自分よりも強い、優れているように見える相手選手に対して萎縮している感覚が常にあったのだと気付く。
常に警戒、緊張というモードだ。

自分の内面がそんなシステム/カラクリになっているので、冒頭で挙げた初対面の人とのやり取りの中で、警戒&緊張というパーツが活発になっていたようだ。

このプロセスを経た後では、不思議とその人とのやり取りに引っかかりは出てこず、「相手はどんな感じなのだろう」という好奇心や、新しい出会いや交流から何が生まれるのかに楽しみを見出す質感が出てくる。
表面的な部分に共感をして「距離を取る」という選択をしていたら、見えてこなかった世界だ。

自分の中を見に行く時は、頭であれこれ過去の出来事をつなぎ合わせたり、納得できるストーリに仕立てるのではなく、身体の感覚やそこにある感情のエネルギーを味わい、その奥にあるニーズにつながっていく。

人間の内面のシステム/カラクリについてIFSを通して理解することとNVCの共感が組み合わさることの深さと面白さ、パワフルさを感じている。

今のわたしに寄り添い、
本来のわたしに立ち返る

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