NVCの自己共感と瞑想の重なるところ

この間、自分はヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)を軸にしていたのだけども、少し他の瞑想も学んでみようとしている。
それは、人にマインドフルネスを伝える際にどういったアプローチが分かりやすく、楽しく、実用的かを探究したいから。

そんな流れで、ここ数日マインドフルネス関連の音源を聴いたりティク・ナット・ハンの本を読んでいるのだが、なかなか面白い&興味深い。

ティク・ナット・ハン『ブッダの<気づき>の瞑想』という本を読み進めている。
ヴィパッサナー経由の理解&経験と合わせていくことで、なんだか理解がぐっと深まる印象がある。本の中で紹介されている経典をベースにした7日間の瞑想コースもあって、それにも参加したことがある。コースでは経典を瞑想体験を通して腑に落とすとても密度のあるものだった。



さらにNVCの自己共感、自分の中で生じている感情やその奥にあるいのちのエネルギーをただただ感じることが重なると、より実践的になる気がしている。
本を読むだけだと抽象的で分からないだろうな、というところを、これまでの経験から「なるほど、そういうことね」と腑に落ちる感覚があって面白い。
そして、時々「それはもうちょっとこう言う感じなんじゃないかなぁ」なんて探究心も出てくる。

本の中で、怒りへの対処の仕方として次の方法が述べられている。
基本は、観察と意識的呼吸を組み合わせる。<気づき>(マインドフルネス)によって観察し、その本質を見極める。

「気づきの心が怒りに寄り添い、「怒っているのは知っているよ」とささやきます。この気づきの心が怒りの付き添い人です。怒りを抑え込んだり追い払ったりせずに念入りに観察し、ただ見守ってください。瞑想を行うときには、これがとても大切な原則です。
<気づき>の観察は、光を投げかける灯りにたとえられます。それは裁かず、愛情と思いやりをもって怒りに光を注ぎ、支え、見守ります。」(p.150)

僕の理解だと、この「念入りに観察する」という部分は、思考で「どうなってんだ?」と考えることではない。瞑想もどうかすると、マインドの領域で想像してしまったり、考えたりといった形にもなりやすい。
ヴィパッサナーでやっている身体の感覚を客観的に見つめる、観察するという実践がとても役に立つ。

そして、怒りに意識を向けた時に自分の内的経験として生じてくる身体の感覚だったり、イメージやインスピレーションだったり、湧いてくる感情だったり。それを抵抗せずにただただ味わうこと。そのエネルギーを味わい、その質感に浸っていると、自然とシフトが生じてくる。全ては変化する。癒しが生じる(つとめて「癒す」のではない)。
これって、正にNVCで実践している深い自己共感ってことだよな、と。

NVCは単なるコミュニケーションツールではなく、スピリチュアリティの実践と言われる所以はこの辺にある。

いろいろなアプローチがあるけれども、どれが正しいということでもなく、受け手の個性もあるから、自分にとって実用的で納得できるものを探したら良いのだろうと思っている。

自己共感を一緒に探究していくオンライン講座を約2週間後にスタートします。
NVCやマインドフルネスの経験がなくても関心のある方は気軽にご参加ください。

16日〜 火曜日 午前コース(10時〜12時)

19日〜 金曜 夜コース(21時〜23時)

火曜日に出席できない分を金曜日に出席するなどの柔軟な参加も歓迎します。