なぜか3点セット「言う」「伝わる」「やる」

ちょっと前に参加したサイエンズの検討合宿での気づき
私たちの認識構造(捉え方)に潜んでいる「言う」「伝わる」「やる」の3点セットがあるということ。

例えば、暮らしの中でこんなことが起きる。
パートナーに「明日は雨だから、今日洗濯しちゃったら」と「言う」。
相手は「あっ、そっか」と応える。

その瞬間に自分劇場の中では「相手は洗濯をする」となってしまう。決まってしまう。
「言う」「伝わる」「やる」がワンセットになっている。

そうなると、「いつやるんだ」「まだやっていない」といった感覚が出てくる。
「ねぇ、洗濯したら?」とまた伝える。
そこから劇場はさらに展開して「何度も言っているのに」「なんで分かんないんだ」「早くしろよ」みたいに加速してくる。
あるいは、「自分の言い方が悪いのかな?どうやったら伝わるんだろう」といったアプローチを取ろうとする。
なぜか「やる」が大前提になっている。この場合は「洗濯をする」。

この時に何が起きているのか?どういったカラクリがあるのか?
サイエンズでは、それを「見ていく」「調べていく」ことをする。

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自分の中で起きているのは、「明日は雨の予報」「洗濯物がたまっている」「今日してしまった方が良い」などなど色々な情報が組み合わさって、「今日洗濯をすべきだ」になっている。そして、「それが正しい!なぜなら、今日を逃したらもっと洗濯物がたまるし、明日洗っても乾かないからだ。そんなことも分からないのか!」というモードにギアが入っている。
そこにはまり込んでしまうと、「いつになったらやるんだ」「他のことしてる場合か」などなど、相手を「責める」感じ。自分の正しさを証明しようと「させる」エネルギーやモードが出てくる。とにかく「洗濯をする」に意識が固定化されてしまう。

さてはて、これが「自分劇場だ」という自覚の元、冷静に捉え直してみると、どうなるか?
そもそも、「洗濯する」が大前提になっているけど、そうなのか?
自分の見解として「した方が良い」となっているだけで、相手のリアリティとは異なる。相手は多分「まぁ、今日じゃなくても良いか」というぐらいのスタンスで、「今はのんびりしていたい」というだけのことかも知れない。
「洗濯したければするし、しなくてもOK」というのが本来の状態だろう。
本来の状態に意識を向けたら「すべきこと」も「正しいこと」も無い。
「しなければならない」「した方が良い」といった思考があるだけのことだ。まさに自分劇場。

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この思考の世界を少し分解して見てみよう。
なぜか「言う」「伝わる」「やる」がセットになっている世界。
それぞれを切り離して観察するとどうなるか?
「言う」のは「言った」これは、主観的には確かなことだろう。

次のステップ「伝わる」はどうか?「伝わったかどうか」はどうしたらわかるのか?相手の返事が「はい」や「あっ、そっか」、「分かったよ」といった感じだったら伝わっているのか?本当にそうだろうか?受け取った人の内面や心の世界はどうなっているのか?
「あっ、そっか」という返事の奥には「いや〜、今日はそれ面倒だなぁ」という気持ちがあるかも知れない。
「言ったら伝わる」ということ自体が幻想だし、「伝わる」の中身も質感がそれぞれで異なるだろう。厳密に言えば、言った人の気持ちや感覚が100%伝わるってことは無いよね。それぞれで感覚や世界を知覚している質感は異なるのだから。

3ステップ目に「やる」がある。仮にこちらのメッセージが届いたとしても、「それをやる/実行する」かどうかは別のことだ。

例えば、「はい、今これを読んでいる皆さん。読むことを一旦脇に置いて、ぐーっと背伸びをしてください。実際にやってみてくださいね。1分もかかりませんから。呼吸にも意識を向けながら、自分の体の心地よさを味わってみてください。はい、どうぞ!」

さて、この文章を読んでいた人の中でどれだけの人が実際に「背伸び」をするのだろうか?
本人がしたければするだろうし、したくなければしないだけの話。

「明日は雨だから、今日洗濯しちゃったら」という発言も、聞いた当人が、やろうと思えばするだろうし、やろうと思わなければしないだけの話。
実際の世界では、それぞれに心の動きがあって、言う背景があるし、聞いている方にも背景がある。お互いに「必要としていること」「大切にしたいこと」、「ニーズ」があって動いている。

よくよく検討したり、観察すると「洗濯したらって言ったんだから、洗濯しなよ」「何度も言ってるのに、なんでしないんだ!?」っていうモードってとても暴力的だ。相手の状態やニーズには意識が向いていないし、自分が正しいというところからの押し付けになっている。
けれども、日常の中でこの「言ったらやる」回路に陥っている自分がけっこういる。
脳内で高速にて機能している思考回路のなせる技なのか、自分の中がどうなっているのか?
はたまた、どうしたらこの一直線的な回路から降りることができるのか?
探究は続く。