「聞く」「分かる」「やる」の3点セット

先日、「言う」「伝わる」「やる」という3点セットについて表現してみた。
これを別の角度からみてみたい。
今回は「聞く」「分かる」「やる」という3点セット。

ここ最近、身近な人とのやり取りの中で気付いていること。
「聞いたことに「反応で返す」」というパタンが自分の中にガッチリと入り込んでいる。

例えば、「あ〜お寿司食べたいなぁ」というフレーズを聞く。
瞬時に「また「あれ食べたいシリーズ」かよ」「おいおい、いくらかかると思ってんだ」といった反応が出てくる。刺激から即座に反応へ。

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NVC的なアプローチだと「相手の感情とニーズに意識を向ける」というモードが機能していない状態。
サイエンズ的なアプローチだと「人を聴く」というモードになっていない状態。
習慣的な反応にどっぷりはまっている。
話をしている本人は「ただ、お寿司が食べたいんだねぇ」って寄り添ってもらえたら良いのに、すぐに見解が返ってくると「聴いてもらえた感じがまったくない」と言う。そりゃそうだよね。
対話をしていて浮かび上がってきたのは、どうやら自分の中で「お寿司食べたいんだねぇ」と寄り添ったら、それは「お寿司を食べに行く(やる)」ということに直結している回路があるということ。
「聞く」「分かる」「やる」の3点セットがあるようだ。

相手の話を「そうなんだぁ」って受け止めることと、「それをする」ことは全然違う話なのだが。ここがこんがらがっているために、「分かった」=「やる」という捉え方になってしまっている。
なんでこういう回路になっているのだろうか?
「言われたことはキチンとやりなさい」という考えが染み込んでいる気がする。

「起立、礼、着席」「これが宿題/課題なので、やってくるように」などなど、本人の意思とは関係なく、命令や指示というものがあふれている世の中。
「分かったか!」「ハイ!!!」みたいなやり取りもけっこう思い浮かぶ。この場合の「ハイ=分かった」は、「やります」に直結している。
「言われたことはキチンとやる」みたいな回路もそうだ。「言ったらやる」「聞いたらやる」が何故かセットになっている。冷静に考えると、謎だ。
聞いて理解したからといって、やるかどうかは別の話。やるかやらないかには、その人の意思がある。
でも、謎な世界の中では、「口答えするな」「言い訳するな」みたいなフレーズが飛んでくることが多い。

幼少期からこういったことに浸って育ってくる。そう考えると教育って、すごい力を持っている。社会の中にある思考回路と仕組みの再生産に大いに貢献している。
その教育を作っているのも、社会を作っているのも、人々の持っているモードや世界観と言える。人や社会、世界をどう捉えるか?もっと言えば、いのちをどう捉えるか?
そこを「そもそも、どうなの?」と捉え直しをしていくこと。
NVCやサイエンズはその手法になると思っている。

言ったことをやらせる仕組みとしての「報酬と罰」がある。「テストで良い点を取ったら、買ってあげる/悪い点だったら、ゲーム禁止」、「ノルマを達成したらお金がもらえる」、「ルールや約束を破ったら、罰せられる」などなど。
駆け引き、取引、条件付き。
当たり前のように、こういった手法を選んで使っている場合があるけれども、「それって、そもそもどうなの?」

NVCを体系化したマーシャル氏によれば、暴力とは以下のことを言う。
marshall
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ほとんどの人は暴力とは誰かを身体的に傷つけようとすることだと捉えているだろう。

私たちは、少し違う観点を持っている。暴力とは人々に何かを強いようとする力の使い方であると捉えている。それは、罰や報酬を与えること、罪悪感や羞恥心を抱かせること、義務や責任を振りかざすことも含む。この広い意味での暴力は、人々に意に反して何かをさせる、強要する力の使い方なのだ。

また、人々を差別したり、必要な資源や正義への公平なアクセスを妨げたりするシステムも暴力である。
(意訳:akilagotoh) 出典:A Conversation With Marshall B. Rosenberg  
By Michael Mendizza
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その人の意に反して何かをさせる、やめさせるということ。あからさまな場合もあれば、権利や義務、責任といったことで縛る、罪悪感や恥の意識で操作する場合など、私たちの日常生活にかなり巧妙に浸透している。
そういった枠組みの中で、数十年トレーニングを受けてきているので、そう簡単には外せないかも知れない。けれども、NVCやサイエンズに触れ続けていると、外れるものもたくさんあるし、違った枠組みで世界を捉えるということができていく。

それぞれの人がそれぞれの個性や特性を発揮して、イキイキ生きる。それでいて、お互いを思いやり、全体で調和している社会や関係性。
田畑でいのちを見つめていったら、これが普通のことにも感じられる。あるいは、身体性にはそういった本質が備わっている気もしている。
思考が作り出す「良い/悪い」、「正しい/間違っている」を超えた世界へ。

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身につけてしまった習慣やパタンからどう自由になるか。反応から生きるのではなく、意識的に選んでいくということ。それを一人でやるのではなく、コミュニティやサンガ(精神的なコミュニティ)で営んでいく
「言ったらやる」「聞いたらやる」モードの自分に日々向き合いながら、一歩ずつ。