Dyads瞑想という手法がある。
今やっている自己共感のオンラインクラスで前回やったのだけども、とっても奥が深くて面白い。
ペアで5分ずつ、計40分、自分の内側を探究していくプロセス・瞑想。
自分の内側に深くつながれる。
NVCで言う devine energy(いのちの神聖なエネルギー)、IFS (Internal Family System)で言われているSelf energy につながることと自分の中で重なる。
頭で考えるという感じでもなく、自分の中に生じてくることを何であれ受け容れ、味わうプロセス。
数日前に dyads inquiry project に参加してみた。欧州時間の朝7時=日本の午後2時からオンラインでdyadsを毎日やっている。
英語でどんだけやれるかな、という懸念もあったのだけども、それも含めて生じてくることを味わってみることにした。
今回参加してみて、自分の中で「openness/ひらかれていること」という質が変わった感じがある。
初めは自分の中にある「純粋さ」と「openness」が結びついている気がして、その純粋さを探していた。
でも、身体感覚としてリアルにあるのは、胸のあたりの重苦しさ。呼吸もスムーズに通っていない感じ。
「オープンになるって、自分には難しいんだ」という思考。
テーマがオープンさなのに、それとは違う自分の今。そこへの焦り。重苦しさが無くなればいい、「オープンになりたいけど、なれない」とどこかで思っていて、そこに少しはまっていた。
「あ、重苦しさ自体にオープンになる。それも受け容れて、ゆだねてみる。ぜーんぶひっくるめて今の自分なのだとオープンになったら?」と浮かんできてそうしてみた。
何かがシフトする。
自分と外界との境界が曖昧になる。
外側では、いろいろな鳥が声を出していて、それが響いている。風で木々が揺れ、葉がこすれる音がしている。雨が降っていて、雨垂れの音がしている。
境界はあるのだけども、内側と外側が響き合っている感じ。
外側から自分の内側へとたくさんの何かが流れ込んでくる。
深い安心がやってくる。
ただただ、あぁ大丈夫なんだよな、という感覚。マインドも静か。
外側の環境にとっても助けられてるなぁ、たくさんのものを受け取っているなぁ、としみじみと感じる。
満たされていないものが、満たされるというのとも違う。すでに満たされているんだよなぁ、というそんな感覚につながる時間だった。