セルフとパーツの対話の流れ(その2)セルフコンパッション【IFSエッセンス解説】

前回のその1はこちら

引っ越しの例に戻ろう。
自分のリアルな感覚として気になったのは引っ越しについて考える際に出てくる「胸のあたりの重さ」だった。そのパーツの声を聴いていく。
そのパーツはオドオドさんという名前を持っていた。
慎重に物事を進める役割を持っていて、あまり大きな責任を負いたくないとも言っている。

この時に、「いや、大丈夫だよ。これが時代の流れだし、そこに乗ったら良いんだよ」という他パーツの声も出てくる。違う意見や横槍が入ることで、当初話を聴いていたパーツの声がかき消されてしまったり、話が混線してきて深く聴けなくなることが多い。

横槍が入った時にはそのパーツとブレンドしている状態と捉える。「いや、大丈夫だよ」と言っている声をパーツとして捉え、その意見を認め、受け止めつつ「今は、オドオドさんの話を聴きたいから少し下がっててもらえるだろうか」とお願いしてみる。

下がってもらうことで、再びアンブレンドができてセルフからオドオドさんの話を聴いていける。
他のパーツが出てきても一旦下がってもらうことで、セルフエネルギーに繋がり続けることができる。
そうすることで、ひとつのパーツの声を丁寧に深く聴いていくことが可能になる。
オドオドさんの話を聴いていくと以下のことが浮上してきた。


*わざわざ今の小さくまとまっていて安定している暮らしを手放すの?小さくまとまっているぐらいでちょうど良いんじゃないの?
*慎重にすべきだし、下手に家屋や土地を所有して責任を負わない方が良いよ。後々何か大きなツケが回ってくるかもよ。
*家も大きいし田畑もそれなりに広い。手に負えないんじゃないかなぁ、不安だよ。
*未知の領域、未知の世界へに対する心細さがあって、今の慣れていて安心できる状況を手放したくない。

いろいろなことを言っているが、根底には「未知の世界への心細さ、恐れ」があることが明確に伝わってきた。
ちなみにこのパーツは分類としてはプロテクターでありマネージャーだろう。
「何か大きな決断/未知の領域に踏み出して痛い目にあう」ことを回避しようとしてくれている。

オドオドさんの存在を感じていて、ふと幼い頃の記憶が浮かんでくる。保育園での初めてのお泊まり会。細かな部分は覚えていないが、何が起きるかわからない感じ、そこにある不安、得体の知れなさ等がものすごく嫌だった。その漠然とした不安が胸のあたりの重さとなって今の自分の中にリアルに生きている。
これは自分自身への理解と受容がぐっと深まる瞬間だ。

セルフから、オドオドさんの話を「そうかぁ」「そんなこともあったねぇ」「嫌だったんだよね」「怖さがあるのだね」と、あたたかさと理解、思いやりを持って受け止めていく。
一切のジャッジがない、丸ごとの受容、ただその感覚や経験とともにいる感じ。
いわゆる、セルフコンパッション。
ここに、しっかりとセルフの感覚があることが大切。
これを感覚的にやれる人もいるのだけども、IFSの理解があると、他の要素が入ってきたらアンブレンドすれば良いので、手法として誰にでもやれる感じがしている。

こうしてセルフに十分聴いてもらえると、パーツはリラックスし、時には変容していく。
引っ越しの例では「未知の領域に踏み出すのは慎重に!」という声は聴いてもらえたことで落ち着いた。
そして、セルフにつながった状態で「では、どうしたいかな」と感じてみると、「まぁ、いろいろ課題もあるかも知れないし、完全理想の場所ではないかも知れないけれども、一歩踏み出してここから理想を創っていこう」と自然な感じで思うことができた。

こうしてバラバラに主張し合っていた自分の内面が「内的対話」を通して調整される。
まるで自然治癒力が働くかのように、対立や角が立っている感じが調和に向かう。そして、無理なく前向きに動いていける感じが出てくる。
また何か別の違和感が出てきたら、そのパーツの声に耳を傾けていけば良い。

こんな感じでセルフとパーツの対話が展開される。
ポイントは、アンブレンド(脱一体化)してパーツと距離を取ること。
そうすることで、セルフからパーツの話を聴いていけること。
セルフからジャッジなしに話を受け止めることで、パーツが変容していく可能性があるということ。
そして、それがまさにセルフコンパッションのプロセスでもあるということ。

>>続く