「内観」という言葉を聞いたのは、確か初めてヴィパッサナー瞑想に参加した帰りだった。大雪で全然進まないバスの中で、他の参加者が「内観もなかなか良いですよ」って話をしていた記憶がある。
ヴィパッサナーは徹底的に身体の感覚と呼吸に意識を向けて観察する瞑想法。
潜在意識下の浄化をズドンとやってのけるイメージだ。
なので、あまり意識上のことには関心がなかった。「過去は存在しない。あるのは今だけ。記憶は脳が都合良く編集したもの。」そんな捉え方が自分の中にあった。
この1年ちょっと鈴鹿市にあるアズワンにて「サイエンズ」という手法を継続的に学ばせてもらっている。そのコースの一つに「内観」がある。
「まぁ、順番なので」というぐらいの気持ちで6泊7日のプログラムに参加してきた。
死に際して、「これまでの出来事を走馬灯を見るかのように思い出す」といったことが言われる。
内観は、それを生きているうちにやるようなイメージ。
お世話になったこと、して返したこと(自分がしたこと)、迷惑をかけたこと。
この3つの視点から、時系列に沿って母、父などの家族やその時々に関係した人を通して自分を調べる。
浄土真宗の「身調べ」という修行法をベースに吉本伊信という人が体系化したという。
鈴鹿で参加してよかったのは、一般的な内観ではなく、サイエンズとの融合を感じられたところだ。
「自分の中身、実態、実際がどうなっているのか。それを調べる」ということ。サイエンズを学ぶ中で言われている「自分を見る」「自分を調べる」「実際は?」といったことが、「なるほど、こういうことか!」と腑に落ちた感じもある。
記憶を頼りにその当時の自分の状態、気持ちや心の動き、考え、精神状態などなどをできるだけ詳しく調べるのだが、結局は今の自分につながっている。面接に来てくださる方が、「ぐぐ〜っと深く自分を見ていくんです。見えてくると、離れていきます。体感しないと分からないと思うけど」と語ってくれた。
漠然と自分のこれまでの人生に対して持っていたイメージがあったが、丁寧に振り返ったことはなかった。朝6時ごろから夜の21時ごろまでひたすら自分と向き合う。人との関係性、出来事を通して、自分と向き合う。
プロセスが進んでいく中でこれまでのインプット=過去の経験や出来事、自分を取り巻いていた環境が、「わたし」をつくっているのだ、ということが自分の中でリアルになった。ある意味で、「今のわたし」は「過去の産物」だ。考えてみれば、当たり前のことなのだが、それを体感した。これを理解した上で、今を生きる。そこには何か芯/真が伴った感覚がある。
過去の蓄積で形成されている「私の捉え方」がたくさんある。それが習慣的な思考や反応の元になっている。自分では当然すぎて気付けない。自分劇場のフィルターだ。
そのフィルターが「どうなっているのか?」ということを、それが形成されたかと思われる時期の状態を見ることで把握していく。見えてくると相対化することができる。
例えば、「人と人は必ず仲が悪くなる」「人は裏切るし、信用ならない」というキメツケが自分の中にあった。それは、あたかも客観的な事実、あるいは真実のように自分の中に存在している。そのフィルターがかかって見える世界はどんなものだろうか?そのフィルターを持ち続ける限り「他者と一緒に何かプロジェクトをやっていきたい」と思っていても、上手くいかない現実がやってくる。
この意味で、目の前の現実は自分が創造していることなのだ。
でも、「実際は?」「そもそもそれってどういうこと?」と問うてみる。過去の経験やそれによって形成されたフィルターはあるのだが、それを相対化して、刻々と変化している実際の世界に目を向ける。
「人と人は必ず仲が悪くなる」ということは、そういう場合もあるだろうし、そうではない場合もある。実際の世界に固定化されたものは無い。そもそも「仲が悪くなる」と捉えているのは自分劇場。あるのは、頭の中で固定化してしまった考え、思い込みということだ。
こうしてキメツケや思い込みを外していくことで、ヒトは「ゼロ」の地点に立つというのがサイエンズの発想だと理解している。そのゼロは、人間の本来的なあり方と直結している。これは、ヴィパッサナーでいう「悟りの状態」と同じことだと思う。
NVCに眼を向けると、これらのフィルターや思い込みが前提になってしまう場合もあると思う。教え込まれたことや学習したことを前提にしたニーズも多々ありそうだ。自分の内側を浄化していくプロセスが伴ってくると、ニーズに沿って生きることもよりパワフルになると感じている。キメツケから来ているニーズではない、命や魂のエネルギーから来るコアニーズとでも言おうか。
ヴィパッサナー、サイエンズ、内観、NVC、どれが良いとか何が足りないとかではなく、人類が蓄積してきた智慧を学びながら、「わたしの本質を生きる」ということを実験していきたいと思っている。
「人生はとびきり面白い」
カネを追っているヒマはないな。