「わたし」の中にあるシステム【IFSエッセンス解説】

前回までの解説でパーツとセルフの基本を押さえた上で、今回は「わたし」というものの中身をIFSではどのように捉えるのかについて書いてみたい。

「パーツとは?」の項目で「わたし」についてこう書いた。

「わたしとは何か?」という問いには、多様なパーツを内側に抱えていて、そのダイナミックな相互作用の中で立ち現れる存在とでも言えそうです。

この多様なパーツとは別の存在として、セルフが「わたし」の中心に在る。


多様なパーツのイメージ

パーツを捉える際に、「リソース」「プロテクター」「エグザイル」という視点がある。
リソースはシステムに貢献する資質を発揮しているパーツだ。例えば、私自身の中のリソースに目を向けてみると、以下のような働きがあると思う。
「要素と要素を結びつけて、新しいものを作り出すインスピレーションと発想力」
「複数の資料や文献を理解し、それをまとめ、独自の視点を提供するスキル」
「直感的に本質や本物を嗅ぎ分ける能力」
「薪や山菜、野草などの身近な資源を活用し、暮らしに取り入れるスキル」などなど。
こういったリソースとしてのパーツが働いてくれることで、私のシステム全体も良い感じに機能していく。

一方で、わたしというシステムを守りたいが為に極端な役割を担っているパーツもいる。
それが、プロテクターだ。
プロテクターには「マネージャー」と「ファイヤーファイター」の2つの種類があるとされている。
いずれにせよ、プロテクターは後で説明をするエグザイルというパーツを守っている。

マネージャーはエグザイルが刺激されないよう予防的に状況を管理する。
例えば、「寂しさ」を実感しないように、「お酒についつい手が伸びる」というのもマネージャーの極端な役割として捉えることができる。
「失敗や挫折」という経験を回避するために、「自分を追い込む完璧主義」である、あるいは「怠惰な感じが出てきてそもそも挑戦しない」というのもマネージャーの役割と言える。

ファイヤーファイターはエグザイルが刺激される、あるいは刺激されそうになった状況で反応的に出てくるパーツ。
例えば、怒りの表出、相手や自分に対する暴力、何かに依存したり中毒になったりすることなどが当てはまる。

これらのプロテクターはポジティブな意図を持っていて、痛みを抱えたエグザイルが表出しないようにすることでシステムを守ろうとしている。
往々にして、マネージャーとファイヤーファイターが対立的になっていて、それが内側の葛藤を引き起こしたり、バランスを崩す要因になっていたりもする。

プロテクターは現状で極端な役割を担っているが、それが本来的な役割ではない。極端な役割から解放されたら、別の役割を担うことができる。そうなると、リソースとしても活躍してくれる。
なので、怒りっぽかったり、完璧主義的だったりする側面を「わたしそのもの」とするのではなく、パーツが活発なのだと捉えてみることができる。

エグザイルとは、システムの中で存在を消されているパーツだ。
いわゆるインナーチャイルドと重なるところが大きい。
主に幼少期の経験から痛みや辛さを抱えているが、その声は認識されていないことが多い。
虐待などの大きなトラウマ経験を抱えているエグザイルもいる。
一方で、比較的のんきに楽しく生きてきたと思っている人でも、内側に大抵はエグザイルがいる。

例えば以下のような経験がエグザイルを生み出す可能性がある。
(自分が望む質では)話を聴いてもらえなかった。
「お兄ちゃん/お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」的なことを言われてきた。
不安や孤独を感じている時に、周囲からのサポートが得られなかった。
いろいろな経験がエグザイルのきっかけになり得るが、共通しているのは「その時に望んでいたことが叶わず、痛みを抱えた」ということだ。

プロテクターの背後にはほぼエグザイルがいる。
そして、「わたし」の中には様々なプロテクターがいて、複数のエグザイルがいる。
一方でリソースもいる。
この複雑な相互作用が「わたし」というシステムを動かしている。

このシステムがバランスを崩していたり、調和に欠けていたり、内部で対立を抱えていたりする。
ある意味で、人間ならば誰もが抱えていることでもある。
完全に調和が取れていたら、それは悟りの状態かも知れない。

IFSのひとつの意図は「わたしというシステムが調和していくこと」にある。
そのために必要なことは、自分の内側でセルフとパーツが対話をしていくこと。
それによって、プロテクターは極端な役割から解放され、自由になれる。
エグザイルは背負っていた重荷や信念を手放すことができる。
この内的世界での探究と対話によって自己理解や自己受容、さらには癒しが生じていく。

この間、個人セッションをしていて感じるのは、いろいろな「他の手法(カウンセリングなど)」も経験してきた人が、違った質で自分と向き合えて、一歩進んだ癒しにたどり着けることが多々あるということ。
そこには、セルフからパーツの声を聴くという枠組みが大きく貢献していると感じている。