NVC、サイエンズ、マインドフルネスなどなど自分が色々な手法を学んでくる中で、「これは面白い!」と心から思えているIFS (Internal Family System) というセラピーの手法。
そのエッセンスをポイントごとに表現してみたい。
セッションを受けてくださる方への資料的な位置づけと同時に、自分とのつながりや自己共感、自己受容といったことに関心がある方へのインスピレーションにもなったら良いな、という意図を込めて。同時に、英語の資料は山ほどあるけど、日本語のリソースは限られているのでその点でも関心ある方々へ貢献できたら嬉しい。
【パーツとは?】
IFSでは、「わたし」というシステムは内部に複数の人格を抱えた存在として捉えます。自分に厳しい自分、人に批判的な自分、お調子者の自分などなど。その自分の一側面を「パーツ」という言葉で表現します。
みなさんの中にもいろいろな自分のパーツ/側面/特徴といったものがありますよね。
「パーツ」という言葉が部品的なイメージも持っているため、「〜〜な側面」とか「キャラ」とか「〜〜な存在」といった言い方もできます。
パーツは単独では存在しておらず、それぞれが影響し合って「わたし」というシステムを構成しています。
同盟を結んでいるかのように補い合ったり、サポートし合ったりしているパーツ達もいます。チームを組んでいるようなパーツ達もいます。
逆に対立しているパーツ達もいます。
例えば、「他者に優しくあろうというパーツ」と「他者に批判的で厳しいパーツ」が自分の中に同時に存在していたりします。
「わたしとは何か?」という問いには、多様なパーツを内側に抱えていて、そのダイナミックな相互作用の中で立ち現れる存在とでも言えそうです。
そして、そのシステム「わたし」は固定されたものではなく、多様な経験や癒し、気づきによって変容し続けるものです。
自分の中のパーツの話を聴き、そのパーツがリラックスしたり、落ち着いたりすると、システム全体にも影響が出ると言われています。
パーツの現れ方には以下の形態があるとされています。
考え (Thoughts)
感情 (Feelings)
身体感覚 (Sensation)
イメージ (Images)
言葉 (Words)
音 (Sounds)
フェルトセンス/質感 (Felt sense)
内なる声 (Inner voices)
身体症状 (Physical symptoms)
自覚のある、あるいは無自覚な動き (Movement, voluntary or involuntary)
全てではないにせよ、身体症状もパーツの現れと捉えることもできます。
そのパーツの話を深く聴くことで症状が消える、緩和されるといったこともあるようです。
感情や身体感覚を、それが「私そのもの」ではなく、「私の一部(パーツ)」と捉えることができるとどうでしょうか?
怒っている、悲しんでいるパーツがいる。
そのように少し距離を取ってパーツを感じられると、そのパーツに飲み込まれずに済みます。これは、いわゆるマインドフルな視点/状態とも重なってきます。
NVCやマインドフルネスを学んでくる中で、多くの実践者が感覚的にやれている「パーツと距離を取る」ということが、IFSの中では誰にでもできる方法として提示されている印象があります。
「自分の中に複数のパーツがいる」「わたしは多様なパーツから成っている」という理解を持つことで、自分に共感する、寄り添う質が違ったものになるように感じています。
IFSの中でパーツと共に大切な要素として「セルフSelf」がありますが、それは次回紹介します。