怒りが見せてくれたもの(その2)IFSプロセス

先日書いた自分の中の「怒り」をIFSの手法で見に行った話の続き。

次の日に、ひとりで時間をとって、じっくりと「怒りのパーツ」の話を聴きにいってみた。
その対話の中で明確になったのは以下のこと。

*怒りを抱えているパーツは「フンヌ(憤怒)」という名前。
*世の中の不条理や矛盾を認識すると「人間ってこんなにもバカなの?愚かなの?」という絶望的な感覚がやってくる。
*フンヌが関わっている怒りの80%ぐらいは「外側」から来ている。それは、集合的な怒りである。

*把握しきれない世の中の矛盾や不条理。そこへの集合的な怒りと連帯している。
*全てを把握することはできない。世界中に同じ感覚で怒っている同志がいる。みんな頑張っているから、自分も頑張らねば(気を抜けない。意外と疲れる)。「みんな頑張ってるから、自分は身近なところで感じる矛盾や不条理にはガンガン声を上げていこう!」というモードで常に居る。
*みんな頑張っているから、と思いつつも、孤独さも持っている。
*フンヌは平和と秩序を求めている。
*自分の働きで平和にならないことに疑問も持っている。けれども、他のやり方を知らない。
*問題を解決したいが、世の中や自分の周りが平和にはなっていないことに罪悪感もある。
*問題を解決できない、状況を変えられないことへの無力感と非力なことへの嘆き、絶望感も抱えている。

自分の中の怒りが「自分だけのものではない」という感覚があったのだけども、それが、世界中にある怒りや嘆きと連帯しているとは思ってもみなかった。
これは、自分にとっては面白い発見だった。「そうかぁ、だからそんだけ怒りが止まらなくなるのかぁ」と合点がいく。

そして、思わず笑ってしまったのだが「みんな頑張ってるから、自分は身近なところで感じる矛盾や不条理にはガンガン声を上げていこう!」というモードがあるというところ。
これは正に、自分が家庭の中でアレコレ気になってパートナーを責める&批判するという際に出てきているパーツそのままだな、と。

そこを意識的に「批判しないようにしよう」「責めないようにしよう」と頑張ってみても、自分の内側のシステムは「世界の不条理と連帯」しているので強固だ。
目の前で「不条理/矛盾」と捉えられた現象が、より大きな世界の不条理と繋がっていて、それなりに大きな反応(責め)が出てきて、なかなか収まらない。
それを受け取るパートナーにとしては「冗談じゃないわよ」といった感じだと思うけど。

このプロセスの中で自分が受け取ったパーツからのメッセージを「思考の産物」「単なるストーリー」としてしまうこともできるだろう。
外から見ると余計にそう感じるかも知れない。

けれども、身体の感覚や自分のシステムの中でジワジワ生じる変化を体感すると、これがわたしの中の実際だと感じている。
そして、パーツからの情報を得られることで、自分の中がこんなシステム/仕組みになっているのか、と把握できてくる。それと並行して、日々の中でも変化が出てきている。
変化はゆっくりだけども、着実な印象。

パーツとの対話を深めていくことで、フンヌが背負っている重荷も手放すことができそうだ。
その辺のことは、自分の中でプロセスが進んだらまた書いてみたい。

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【関連記事】

怒りの声を聴きにいく(その1)IFSのプロセス

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