怒りの声を聴きにいく(その1)IFSのプロセス

IFSという手法を学びながら個人セッションにも活かしている。
自分の中でだいぶ理解と経験値が蓄積されてきた感じがしている。
今日は、自分の中の「強烈な怒り」の声を聴きにいった話。

先日、共感仲間に手伝ってもらって、自分の中にある「怒り」の声を聴きにいった。
自分の内なる声を聴く手法として「パーツワーク」はステップが明確だし、NVCと親和性もあるし、何より思わぬ発見があり、自己理解と自己受容が深まる。
自分が普段は意識していない自分の部分に出会える面白さもある。

IFSの大前提は、ひとりの人間の中に複数のパーツが存在していて、全体がシステムとして機能しているというもの。
自分の中に、内外に批判的なパーツやタスクをテキパキこなすパーツ、段取り力を発揮するパーツ、世の不条理に過剰に反応するパーツなどなど、たくさんの存在がいる。
全部ひっくるめて、今のわたし。


今回は「怒りを抱えているパーツ」の声を聴いてみた。
すべてのパーツはポジティブな意図を持っていると捉えるので、「怒り」であっても、そこには「何かを大切にしたい」というエネルギーがある。

なので「怒らないようにする」のではなく、積極的に「何が生じているのか?」「どうなっているのか?」をそのパーツとの対話を通して探究していく。
「すべてのパーツを歓迎する」ということも言われる。
自分の中の見たくないエネルギーも、すべてウェルカム。

話を聴くというプロセスは、簡単に表現するとこんな風に進んで行く。
まずは、自分の中でもっと知りたいと感じるパーツを特定する。
そのパーツは身体のどこにいるか、どこで感じるか、どんな声や意見、イメージとして現れるかをじっくり味わう。
そこから、アンブレンドという手法でそのパーツと距離を取る。
この時に、アンブレンドが出来ていると、パーツに対してジャッジや意見がある状態ではなく、「なんでそういう言動をするのだろう?どうなっているのだろう?」と好奇心や思いやりと共に寄り添う状態になる。

それはセルフという内なる菩薩の質とつながった状態。そこから自分の内なるパーツに対して問いかけをしていくと、ふとした感じで言葉が浮かんでくる。記憶がふと出てきたり。
「んん、これは思考から来てるかもなぁ」とか「こないだ読んだ本に引っ張られてないかい」みたいな声もあるのだけども(これ自体が別のパーツの声だったりもする)、問いかけて浮かんでくるものを信頼して待つ。

すると、自分の中のパーツが思わぬ情報や経験を知らせてくれる。

友人のサポートも得つつ、怒りに燃えるパーツの話を聴いていき明確になったのは、以下のこと。

*自分の中に「ものすごく怒っているパーツがいる」
*世界の不条理、矛盾、バッドデザインに対して怒りと嘆きを抱えている。
例えば、貧富の格差。原発という発電方法。などなど。
*小さい頃の記憶として、3〜5歳ぐらいだろうか、団地でワラワラ一緒に遊んでいる友達が、虫取り網でハチを捕まえる。そして、それを踏みつけて殺生している現場を見た時のショックが浮かびあがってきた。
*そういった不条理や悪(と自分が捉えていること)をぶっ壊してやる、めちゃめちゃにしてやる!という強いエネルギーを持っている。
*その役割を止めてしまうと、不条理を見続けることになり、絶望するし、虚無に陥る。そんなことは避けたい。
*「すっげ〜怒ってんだってことを知っておいて欲しい」とも言っていた。

この時はこの辺で時間切れとなった(45分ぐらいはプロセスに時間を割いてもらった)。
友人とも話していたのだけども、「この怒りは自分だけのものではない気がする」という感覚もあった。

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>>続編「怒りが見せてくれたもの」