人生の目的と手段

以下は、アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティにある「サイエンズスクール」の「人生を知るためのコース」に参加した際のレポート。一部を加筆修正して公開してみる。

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これまでの10年は農村に居をかまえて自給的な暮らしを営んできた。米と野菜を自給し(自然からもらう)薪をフル活用し(暖房、風呂、調理など)、なるべく手作りをすることで支出を抑えた暮らし。ここ数年は個人事業主となり、半農半スロービジネスというライフスタイルを自分なりに確立してきた。お話会やワークショップ、コーチング、イベントでのコーヒー販売などを組み合わせた小さなナリワイと暮らし。

で、コースにて問われる。
「私の人生は何をやろうとしている人生なのか」と。
人生の目的は?と。

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言われてみると、ついつい「やること」「現象として現れていること」を重視している自分がいる。「何をするか」が大切になっている。
「すること(doing)」と「在ること(being)」の違い。
今のライフスタイルも「手段」だと捉えると、果たして自分はそれを通して何をやろうとしているのか?何を願っているのか?
入り込んでいる箱の外に出て眺めてみる気分だ。

自分の中を観てみると「安心して自由に暮らす・生きる」「心の平安」といったことが浮かんでくる。改めてそのおとに目を向けて眺めてみると、どんな感じがするか?
このスタイルを「人との密な関わりは避けて一人でやる」というスタンスでいた。自分一人で対応できる小さな規模であれば、安全だし、無理がないからだ。
実際、月に三万円も現金が回れば問題のない暮らしとビジネスのあり方だ。
人と一緒にやると面倒だ、トラブルが生じるというキメツケもあり、そこに恐れもあった。「気楽さ」をベースにして、無理せず、ほどほど、ひとりで完結する。そのぐらいが丁度良いという感じとも言える。
この間はそれでやってきた。

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が、それが果たして自分の人生の目的なのだろうか?
今、自分に目を向けるとサイエンズやNVC(非暴力コミュニケーション)といった手法を学ぶ中で「人と一緒に何かをやる」ということへの希望がある。
そして、深いところで望んでいること、本心が向かっていることは何だろうと問うてみる。
すると「平和や調和、ひとつということの創造」というのが出てくる。
今の段階の自分の本心はそこにあると感じている。
それを実現するための手段としてサイエンズ、NVC、ヴィパッサナー瞑想、コミュニティといったものがあるのだなぁ、という理解がある。

その本心に向かっていける、それを生きることができる心の状態とはどんな感じか?
自分の心が満たされていて、安心ベースで持ち味や特性を発揮できる状態。
それは「ひとり」ではできないこと。
人との関係性や仕組みのサポートが必要だ。
「自分でやれる範囲で何とかする」というモード。それを自立、自力と捉えていたし、そこに結構な重きを置いていた。
しかし、実際に目を向けると「自分でやっている自律」は幻想でしかない。自然や人との関わり、その多様な関連の中で成立している私という現象といのち。

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今回のコースでは、その理解の下に明確に立った。最近は「何となくそういう方向だろうなぁ」とは感じていたが、より明確、確信になった。
なるほど、サイエンズ用語で言うところの「本心、目的」とはこういうことか。
そこにつながると、自分の内側からエネルギーが湧いてくる。
残りの人生で人との関わりの中で心を豊かにしながら、目的を生きるというプロセスをイメージすると楽しい感じも出てくる。「自分の人生の充実」「自己実現」みたいなものにあまり興味が湧かない感覚になっている。より大きな流れを意識している。