以下は、個人的で特殊な経験についての記述です。ヴィパッサナー瞑想で「酒が止められる」といったことが言いたいのではない。
瞑想を通じて、心の浄化が生じるということ。
より善く生きるきっかけがそこにあるということ。
興味を持った人は、ぜひヴィパッサナー瞑想を調べて、10日間コースに参加して欲しいこと。そんなことを伝えたいがために書いてみました。
自分の人生の中で「酒」というものが占める領域は結構大きかった。
子どもの頃は酒を飲む親父や大人に反発をしていたが、自分が成人すると、欲しくもないけど飲んでいることも増えた。特に、仕事をし始めてからはお金も自由になるし、飲むことが常態化していった。
アル中とまではいかないけれども、「飲酒癖」というか、「ついつい」飲んでしまう。今飲んでもおいしくないよな~、という状況下でも何故か「ついつい」。軽度の中毒だったかもしれないな。
それは、ストレスの解消法だったり、満たされない部分への代償行為なのだと思う。
自分自身の深い部分では「自分には必要ないよなぁ」ということは分かっていた気がする。けれども、潜在意識下の汚濁が強固にあったからだろう、「酒を止められる」ということをどこか非現実的に考えていた。
今年の年初に受けた3回目のヴィパッサナー瞑想10日間コースにて、前半は「ビール、ビール」の大合唱が頭の中を駆け巡っていた。かなり、しつこい。コースから出たら絶対に飲むんだ、という強烈な執着。
しかし、不思議と5日目頃から意識の中からビールが消えていった。「あら、そう言えば考えなくなったなぁ」という感じ。
大合唱は、汚濁が浮上しているプロセスだったのだろうか、瞑想を通して浄化が進む中で、意識にビールが昇らなくなった。
そのコースの後にすぐに「奉仕者」としてコースに参加する機会を得ることが出来た。申し込みをしたら「では、今日から奉仕者モードでいてください。禁酒してください」とのお達しが。
「えっ、無理だろ」との反応をしつつ「禁酒に努めます」という努力目標を返信した。「禁酒します」ではなく「努めます」という弱気な意思表示。
でも、良い機会なので意図的にガマンをして1ヶ月半ほど断酒することができた。そのまま奉仕者としてコースに入ったので約2ヶ月は酒から離れることになった。
10日間コースに参加者として出ている場合、非日常的な修行モードで日々を過ごす。奉仕者として参加すると、仲間とのおしゃべり、おいしい食事、ルーティーンワークなど日常的な側面もある。その中に瞑想が入ってくるのはすごく良い経験だった。そう、日常の中で酒は飲まない、瞑想をするというリズムを経験できたのだ。
けれども「この奉仕期間が終わったら、また飲み出すのだろうか?」という漠然とした不安が自分の中にあった。
コース中に聞く講話の中に、「酒は絶対に止められない」と思っていた人が、コースを受けた後に「匂いすら嫌になる」という話がある。
それを聞いても「いやぁ、自分はそこまではいけないなぁ。ムリムリ、そりゃ飲むさ」と何故か思っていた。
止められるものなら、止めたい。
それが本音だったし、深いところでは「自分には必要ない」ということが分かっていた感覚がある。
日常的に1日2時間以上座る「瞑想者」は酒を飲まない、という話も聞いていた。
自分はそこまでいけるだろうか?いけたら良いな。
奉仕仕事をしながらも、モヤモヤが募って来たので、オーストラリアから来ていた指導者に質問をしてみた。「今、2ヶ月飲んでいないのだが、飲酒癖があり、戻ってからが心配なのだが」と。
すると、彼は笑いながら応えてくれた。「瞑想の実践を続けなさい。たまに飲むことも出てくるかもしれないが、その度に「必要ない」と気付くだろう。後に「味見すら嫌になる」だろう。ただし、瞑想実践を止めた時には、また飲み出すことにもなるだろう。がんばって1日2時間座りなさい。それを続けなさい。時間をつくれたら早めに10日間コースに参加しなさい」と。
「やはり毎日座ろう、瞑想実践を続けよう」という強い決意と共に奉仕期間を終えることになった。
その後、出来ない時もあるが、日に2時間瞑想をするようにしている。
これが流れになり出すと、瞑想をしないという状況が居心地が悪く感じられる。
この間、数回は酒を飲む機会があった。「久々に飲んだらさぞ美味いだろう」という思考の期待とは裏腹に、身体も意識も「全然美味しくない」「やっぱり必要ないよ」という反応だった。美味しく感じないものを飲んで、意識が鈍り、気分が悪くなり、身体にも響く、お金も出ていく。だったら、自然と飲まなくなる。
今の自分にとっては、これがリアリティ。
酒が必要な人もいるだろうし、愉しく飲める人もいるだろう。それはそれで良いと思う。酒自体を否定するつもりもないし、これまでさんざんお世話にもなってきた。
単なる個人的な経験として、瞑想実践を通して「酒はあっても、なくても良い。だとしたら、なくて良い」という状態にシフトしたということだ。あるいは、より本来的な自分の感覚に立ち返ったということ。
まだ、意識の上に酒が昇ってくることもある。が、しばらく観察しているうちに、消えていく。強い執着は、もはや無い。
酒を飲まなくなったら、食事の味わいがより深くなった。
ハーブティーや薬草茶、お茶などの味わいもたのしめるようになっている。
そして、瞑想しているからというのもあるが、意識が格段にシャープでクリアだ。朝の目覚めと動き出しもスムーズで嬉しい。
ヴィパッサナー瞑想は「生きる知恵」「より善く生きる技」と言われている。
人生の中で、たったの10日間を自分のために費やすこと。それで、より善く生きるヒントが得られた。
こういった領域があるということを、多くの人に知ってもらいたいな、と願っている。