自分劇場の一歩先へ(サイエンズ)

サイエンズという手法についての理解〜第二弾
前回は、「なんと、すべて自分劇場でした」という内容で書いた。
「あ、これって自分劇場だわ〜」って気づいて、自分が捉えたことなのだ、という自覚を持つ。
で、そこからどうするか?
サイエンズでは、「自分を調べる」というプロセスに入る。

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先日、友人たちと話をしている中で、僕がした発言に対してAさんから「なんか、すっごい上から目線だな~。Bさんたちの方が上で、Cさんたちはイケてないみたいに聞こえる」と言われた。

さて、自分劇場やいかに!?
そんなに大きな反応があったわけではないのだけども、何か「ムムッ」とくるものがあったりして。

現象としては、「上から目線に聞こえる~」とAさんが言っているのを、僕が聞いたということ。
劇場の中では Aさんから「言われた」「指摘された」「批判された」「非難された」「けなされた」みたいに受け取る可能性がある。その時に、自分の外に事実があるように捉えられ、「批判しているAさん」が固定化される。下手すると、対立的になったり、批判の応酬になったり。

実際には、Aさんが言っているのを、僕が聞いている=捉えているのだけれども。
この時も、頭の片隅では「相手がそう思って言っているのだ」と意識しているのだけども、自分の身体感覚や感情は「言われた」に近い状態だったなぁ。

「上から目線だな~」という音を聞いた瞬間に、僕の頭の中で様々なことが高速回転で動いている。そして反応が出てきて、「なんだと~」とか「そんな言い方せんでも良いやろ」などがアレコレ出てくる。
同じ発言を聞いても、その場にいる人たちで受け取り方が全く違う。ということは、それぞれに受け取り方のフィルターがあるのだ。
「へ~そんな風に聞こえたんだ。どんな感じがしているの?」という対応もあり得るよね。

自分が反応していることに気づく。で、その後にどうするか?

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調べる=良く見る、観察する、カラクリを知る

サイエンズでは、「自分を調べる」というプロセスに入る。
「へ~そんな風に聞こえたんだ。どんな感じがしているの?」とはならずに、
「なんだと~」となっている自分の内面はどうなっているのか?そのカラクリ/メカニズムを調べる。
「うえからめせんだな~ (uekaramesendanaa)」という音を聴いて、それをどう捉えているのか?
言葉を変えると、自分劇場にどっぷり浸かっている状態から距離を取って、冷静に、あるいは科学的にその中身を調べていくのだ。先日参加したコースでは「反応の元になる種を見ていく」といった表現も出ていた。

単に、「なんだと~」という自分の反応に気づくだけではなく、「刺激」→「反応」の間にある瞬時のプロセスに意識を向ける。
この点、サイエンズはとても緻密&丁寧だと感じている。

「上から目線」発言を聞いた自分の中には「チェッ」「ケッ」みたいな、跳ね返すエネルギーがあったかな。そして、それが出てくる手前にあるフィルターとして、なんとなく浮かんでくるのは「人に何かを指摘される=嫌だ」という感覚。
「指摘される」「非難される」「ジャッジされる」これも全て自分劇場なのだけども、それらが不快なもので、受けたくないというフィルターが僕の中にあるね。
と、ここまで書いて、これで「調べる」になっているのか、よくわかっていない自分もいる。

もう少し見ると、うーむ、「偉そう」みたいな感じに何かフィルターがある気もする。
「偉そうなのは、よくない=不快」「偉そうと言われる人はイケテナイ」的なフィルターがあるな。
「偉そう」というのも面白い枠組みだよね。「偉そう」なだけで、偉くはないということか?「本物じゃない」といったニュアンスの枠組みが自分の中にある気がしてきた。

もっと深く自分を見るプロセスがありそうな気もしている=サイエンズではそれを、安心できる環境での対話の中で進めていく。

もう一つの例で調べていこう。
前回書いた、「1センチちょっとオーバーしていますね」と言った窓口担当者への反応は「ムッ」ときて「無愛想なやつだ」「融通の利かないやつだ」になっていった。
これを見ていくと、「お客(上の立場)とお店(下の立場)」という上下の感覚がある気がしてくる。
このフィルターがあると「おいおい、金を払うのはこっちだぞ=こっちは客だぞ」みたいな反応が出てくる。

自分の捉え方のクセやパターンを調べる。フィルターがわかったら、それをどうにかして変えようといったことではなく、ただ、気づいている、自覚していることが大切だという。
気づきがあると、それに飲み込まれたりしなくなるし、徐々にその影響力が弱まっていったりもする。あるいは、「はぁ、そんな捉え方が自分の中にあるんだなぁ」と気づくことで、それを手放せていけたりもするようだ。
あるいは、その点をより深く緻密に見ていく、調べていく。サイエンズでは「分かった」「できた」「こうだ」と物事を固定化することはしない。不断のプロセス。

このように自分を調べていくと、自分の捉え方というのは、これまでの経験や教え込まれた知識、学んだ知識で形成されている。それが「当たり前」になっていて、そのフィルターがあるので、外側に事実・実際があるように捉えてしまいがちだ。だが、そう、自分劇場なのだ。

というわけで、サイエンズの中での大切なプロセスと僕が理解している点について書いてみた。
自分劇場だと気づくこと。そしてその劇場がどうなっているのかを調べること。

で、これができると何か良いことがあるのだろうか?
その辺は次回に書いてみよう。