トラウマの処理・共感あるのみ (IIT@マウイ)

前回のIITレポートで、トラウマについて少し触れた。サラ・ペイトンの講義で頻繁に「トラウマ」「世代を越えたトラウマ」といった概念が使われていた(サラは2016年10月に来日してワークショップを実施してくれる)。

一般的な定義としてトラウマ(心的外傷)とは、外的内的な要因によって肉体的あるいは精神的に強い衝撃を受けたことで、長期に渡りそれに囚われる状態であり、否定的な影響を持つことを意味する(wikipedia を参照)。
サラの説明によれば、「脳内のシナプス(神経回路)切れてしまっている状態」とのこと。
これが自分の中の子ども、いわゆるインナー・チャイルドとも関係している。自分では認識できていなくても、身体あるいは脳の中に記憶としてしまい込まれている経験がたくさんある。

トラウマと関連してストレスが強度に掛かった時に自分を守るために「聖なる誓い(sacrid vow)」を立てることがあるという。例えば、「人間は信用ならないので、自分はひとりで生きていく」といったことを自分自身や身近な人に対して誓いとして宣言している。これが、強い信念となって当人の中に根付いてしまう。すると、人と協力する、一緒にやるということに対して無意識的にブレーキが掛かる。

トラウマや聖なる誓いがあることで、いろいろな場面の中で自分では制御できない「反応」が出て来ることも多々ある。IITの中では「トリガーされる(触発される)」といった表現もなされていた。

このトラウマやインナーチャイルド、聖なる誓いをどう扱うか?
サラの講義の中では徹底して「感情とニーズに寄り添うことで共感する」ということなのだと自分では理解した。

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(photo by Renata Mendes)
彼女のセッションの中で、みんなの前でのデモをしてくれる参加者もいた。そこで展開されたこともとにかく感情とニーズに寄り添い、共感をしていくというプロセスだった。
セッションを通して、色々なパタンでトラウマに向き合っていくプロセスがあった。
時空を超えて自分の中のインナーチャイルドに話しかけ、その子の感情とニーズを認めていく。
自分の親のトラウマに寄り添い、共感する。
自分の細胞にアプローチして、細胞が感情とニーズを持っているとしたら、どういったものなのかを推測的に共感する。
サラは「とにかく、共感、共感、共感/ empathy, empathy, empathy」と何度も言っていた。

強烈なストレスや過去の傷に付随する「感情」、そしてその奥にある「満たしたいこと=ニーズ」は、大抵はガチガチに固まっていて気付かれていない状態のようだ。共感があることで、それらに光が当たり、風が通る。それによって、その傷が癒えていく。脳の中では、新しいシナプスが形成され、回路が変わる。すると、これまで傷に関連して起きていた「反応」が不思議と現れないことを体験することになる。

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これまでもトラウマの処理に関して、感じ切れていない感情を感じ切るといった手法は聞いたことがあったが、そこに「何を満たしたかったのか」という「ニーズ」を加えることで、より深くまでいけるのだと思う。ニーズでつながることで、共感の質も深まる。

IIT期間中と帰国後に「自分が引っかかっている深いところへ降りていきたい」という2人の方と話をさせてもらった。周囲のサポートのある中だったので、内心ドキドキしながらも僕も安心してプロセスを進行させてもらった。
結果的にとても深いところまで潜っていくことができて「何かが抜けた」感覚が得られたようだ。
共感の底力を僕自身も実感することができて、大きな収穫だった。
トラウマ的なものを下手に扱う怖さも感じつつも、「的確な共感を差し出して、状況が悪くなることはない」というサラの力強い言葉には勇気づけられた。

感情とニーズを通して共感を得ることで、その人の脳内に新しいシナプスが形成される。それによって、傷が癒え、反応が消えていく。
共感があればある程、人に優しくしたくなる回路が形成されるのだ。
これは共感を得る方だけではなく、共感を提供する方にも言えると思う。
その人の深いところへ一緒に降りていき、共に在ることで共感が生まれる時、自分自身も感動し、満たされる感覚がある。そして、その満たされた感覚がその後も持続する印象がある。

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共感を受ける人も共感を与える人も、お互いがよりこころ優しくなる。NVCはそんな機能も持ち合わせているようだ。奥が深い。