「お金のいらない国」に近づくために ギフト

『お金のいらない国』の著者、長嶋龍人さんと話していて「色々と問題が多い社会。もう、いくところまで行ったら良いんじゃないかとさえ時々思う」と伝えると「もう、かなりのところまで行っちゃってると思うよ」と応えてくれた。
確かに、どうにもならない状況がゴロゴロ出て来ている気もする。制度疲労というか、システムの不具合がどんどん出て来て、対応が追いつかないし、ごまかしが利かなくなってきている。あたかも、原発事故の現場のように。

さて、皆さんはこの崩壊しかかったシステムを降りて、「お金のいらない国」その世界に近づきたいと本気で思うだろうか?

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みんながやりたいことをやって暮らし、お互いに与え合い、調和が取れていて、幸せな世界。
正に、ジョン・レノンが歌うイマジンの世界。
想像したら、そうなるのだろうか?
馬鹿げた理想論?
人の意識が高まれば到達できる?
想像も大切だけど、具体的に小石を積み重ねていくことも大切だと思う。

お金のいらない国に近づくには「お金のシステム」から外れていく必要があるという。
「お金のシステム」というのは、見方を変えると、今の過度にお金中心に動いている資本主義のシステムと僕は捉えている。そして、それを支えている一人ひとりの「考え方の枠組み=マインドセット」が強固にある。

とにかく、GNP/GDPを増大させようと、なりふり構わず経済活動を展開する。武器だろうが、遺伝子組み換えだろうが、原発だろうが、それがどういったマイナスの影響や波及効果をもたらすかは無視される。
「Aを出したからBを受け取る」という1対1の「等価」交換という発想。この発想、僕らの奥深くにまで入っていて、「あれだけしてやったのに」といった反応も出て来るのではないか。
この経済と社会のシステム内で、多くの人達の暮らしは成り立っている。
嫌だと思いながら、「仕方が無い」とつぶやき、稼いだお金でストレス発散。そして、また生きるために金を稼ぐ。そのお金で何かを交換して得る。

崩壊しかけているシステムに対して、戦争や原発を「ヤメロ!」と声を上げることも大切だと思う。
けれども、今のシステムに依存するのを「ヤメル」ことも大切だと思う。

違うやり方
違う在り方
イマジン
そして、実験してみよう

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お金のシステムをヤメてみる。100%じゃなくて良いので、一歩でも百歩でもヤメてみる。

例えば、お金を介さない交換ややり取り。等価交換という発想を外すことを最近特に意識している。
ギフト(贈り物)前提のぶつぶつ交換も面白い。
この秋、家の周囲にある柿が大豊作。柚子もたわわに実っている。
圧倒的な豊穣さを感じつつ、収穫しながら思う。
僕が植えたものでもないし、大した世話もしていないのに、自然界は分け隔てなく実りを恵んでくれている。

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「これは僕のモノだ」という発想自体が貧しいと感じる時もある。
自分の身近にたくさんあるもの、しかも自然が無条件に恵んでくれているものをお裾分けする、シェアする。
ただ、それだけで良いのかもしれない、と。
それを差し出した時に、相手も身近にあるものや僕が歓びそうなものを差し出してくれたら嬉しい。
give and take「差し出して奪う」
ではなく
give and given「差し出して、差し出される」

でも、どこかでgive and give 「差し出して、差し出して」でも良いと思っている。
「これ」をあなたにあげたから「あれ」をあなたから期待する。
この1対1対応の等価交換的な発想自体がお金のシステムとリンクしている気がする。

自然界に眼を移すと、草木は酸素を提供するけど、酸素を吸っている存在に水をよこせなどとは言わない。柚子は実をつけるけれども、対価として何かを要求しているわけではない。大きなイノチのネットワークの中で、差し出し合い、生かし合いの世界を展開している。自然界はギフトで溢れていた。

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空気、水、大地、地球。そして、本来的にそれはダイナミックに変化しながらも調和している。

「わたし」という存在ひとつをとっても、無数の善意や優しさに支えられて成り立っている。「おかげさま」の世界。
僕が差し出した何かが、巡り巡ってゼンゼン知らない人に届いても良い。その無数の関係性のネットワークの中で生きていたい。
見方によっては、人の社会も差し出し合い、生かし合いによって成り立っている。僕が今の暮らしをして、月3万円で暮らすといった発想を持ち、こうして発信していること自体、「僕が一人でなしている」ことでは到底無い。
例えば、僕が大学の恩師に学んだことは計り知れないが、彼自身も無数のつながりの中で生かされ学んで来たのだ。
そう考えると「わたしの」というエゴイスティックな発想のなんと脆弱なことか。
「私のお金」「私が稼いだお金」これも幻想にも思えてくる。

「自然界にお金はない。お金は人間がつくり出した不自然なシステム」という龍人さんのコメント。本当に、そうだよね。

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そもそも、自然界からも関係性からももらってばっかりの存在なんだ、僕は。
差し出すということ、ギフトという視点。実は、本来は自然なこと。
僕らは余りにも「見返り」「等価交換」といった習慣に慣れ過ぎている。なので、ギフトのトレーニングが必要だと思う。僕自身もトレーニング中。
無理にギフトばかりをして生活が回らなくなっても仕方が無いので、100%じゃなくて良いと思う。できるところから、実験していくこと。差し出し合い、生かし合いの関係性を育てていくこと。
崩壊していくお金のシステムとマインドセットを脱却するのに大切な想像と実践だと思っている。
ま、ここはひとつ、実験ですから、たのしくやっていきましょう。