田川地域の愉快な仲間達と企画&実施した「ゴミフェス」。
この間、どっぷりとゴミについて、調べたり考えたり。
なかなか、良い経験だった。
「ゴミ」だけでは、人は集まらないだろう、ということでマルシェも実施することに。
コンセプトは「ゴミゼロ」となった。
今回は、新規の包材は使わないというチャレンジ。
お皿ももちろんリユース(再利用)できるもの。
業者から借りることもなく、メンバーでかき集めることができた。
特に「どうしようか」と悩んだのが、持ち帰り用の包材。
「そのぐらいは良いんじゃないの」という声も聞こえてきつつ。
マルシェチームで話し合う中で
「仕方が無い」「そのぐらいは、まぁ」ということの積み重ねが今の美しくない状況を生み出しているのではないか。やれるところまでやってみよう、ということに。
出店者のみなさんにも趣旨を説明して、対応を悩ませた。。。
それでも、気心知れた仲なので、心配なくそれぞれの思いを共有して企画を進めることもできた。
僕らの毎日の生活の中で排出されるゴミ。
そのゴミと向き合うと「使い捨て」ということがとても変なことだと思えてくる。
数億年かけて蓄積された化石燃料。「化石」が燃料になったんだよね。
それを、地下深くから掘り出す。
その石油資源を使った、ビニールやプラ。
これらの製造にもエネルギーを費やす。
輸送は海の向こうからこれまたエネルギーを使って。
売り場に並び、お店の人が買い、僕らが買い物をする時に「当たり前」と思って使う。
そして、使い捨てる。ひどい時は数秒で。
先日、スーパーで袋を断ったら、レジの人がつかんだビニール袋をそのままゴミ箱へ入れてしまった。悲しい状況。。。
捨てられたら、それをゴミとしてこれまたエネルギーと費用を掛けて処理する。
家庭から出るゴミの6割りが包装資材だという。
人間、何をしてるんだか、という気になってくる。
僕が小学生の低学年の頃には、豆腐屋にボールや鍋を持っていき買い物をしたものだ。
30年ぐらい前の常識は使い捨て時代の今や非常識。
けれども、石油枯渇も言われる中で、今の使い捨ての常識は先で非常識になる。
パンのお持ち帰り用に何かアイディアはないかと考えていると、庭に生えているバランという葉っぱの存在が浮かんできた。 毎年葉を茂らせて、成長して、朽ちていく。 それを取って、洗って、使う。 使った後は、土の上に置けば自然に還る。 自然界に廃棄物は無い。
大量のエネルギー消費が前提の使い捨て。
どっちが効率的?どっちがスマート?
食べ物を包む葉っぱと思って、近所を歩くと、芭蕉系の葉っぱを発見。
デカイ。そして神々しい。
確かに、バランの葉っぱを洗って、拭いて、乾かして、というのは手間だ。
「メンドクサイ」という言葉が一般的には出て来るのだろうね。
けれども、この営みをしているとき、バランや芭蕉の葉と向き合い、その繊維質に感動し、手に伝わってくる質感にワクワクする自分がいる。自然の神秘に触れている実感。
すごく満ち足りた時間だった。
「自然界に廃棄物はない」つまり、ゴミも無いってこと。
全てが循環のプロセスの中にあるだけ。
人間だけが、その循環を断ち切り、無駄なことをして無駄なものを作って、売買したり、「発展」だの「成長」だの言っている。
実態は過剰生産、煽動消費、なんでも廃棄。
今や世界は質の悪いパロディみたいだ。
たかが「ゴミ」
そこから世界や自分の在り方が問われている。