2011年、2014年、2015年とヴィパッサナー瞑想10日間コースを3度受けてきた。
いずれも農閑期、冬だ。
キリリと空気の冷え込む京都の山奥で、呼吸を見つめ、身体の感覚を調べ尽くす修行・トレーニング。
食事は菜食、静かな田舎・自然環境、ケータイやネットも無い、ノイズが極端に少ない。
瞑想し続けていると、ある地点から思考が切り替わる。
ネガティブな汚濁がどんどん浮上する段階から、徐々にポジティブなアイディアがどんどん浮上してくる。
一回目の参加は、「特殊な体験をした」という感覚が強く、ヴィパッサナーの本質を全く理解していなかった。
二回目の参加で、少し「こういうことか」と分かり、浄化が出来た印象があった。
今回、三回目の参加は「ほほ〜、こういうことだ」と腑に落ちる瞬間が何度もあり、浄化もすごく進んだ印象がある。
浄化とヴィジョンクエストが同時進行で展開された状態。
結構お酒を飲む人間だったが、「あってもなくても良い」⇒「別に無くても良い」という感覚になってきている。
これだけ体系的な形で仏教的なエッセンスの深い学びと心と身体の浄化を体験出来る仕組みは他にはなかなか無いと思う。
そして、これが全て「次につなげていこう」という想いと寄付で回っている。
誰にでも意志のある人には場は開かれている。お金が無くても参加できる。
資本主義的な世界観、モアモア教的な世界観をとっくに超越している仕組みだと思う。
10日間の休みを取ってコースに参加することが難しい人達もたくさんいると思う。
しかし、自分の人生、生きるということに対する投資として10日間確保できない、させない社会って実は貧しいんじゃないか、と思ってしまう。
タイでは、出家せずとも3ヶ月ぐらい僧院生活を体験する文化があると聞いたことがある。
「ちょっとヴィパッサナー瞑想コースに行ってくるわ」といった感じの余裕が生きる中に、社会の中にあったら良いな、と思う。
農閑期にもう少し深めたいな、と思っていたら時間ができた。
今度は、奉仕者という立場でコースに参加してきます。