先日、3年振り2度目のヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加してきた。
3年前は初参加で、ついていくのがやっとだったこともあり、どれだけ理解が浅かったかを今回痛感した。裏を返せば、今回は非常に深い経験と理解になった。
「「ものごとをありのままに見る」という意味のヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつです。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されました。」(日本ヴィパッサナー協会HPより)
自分の呼吸、身体感覚、こころや思考の動きをありのままに見る、観察するのがヴィパッサナー瞑想。その目的は「こころの汚濁の浄化」とされている。
「人間全てに共通する病」とはこころの汚濁が生み出す「反応」のことだ。
例えば、顕在意識では「人に親切にしたい」と思っていても、実際には「ついつい妬みや批判意識が出てきて親切にできない」という経験がないだろうか?
「ついつい」は「反応」であって、その人の本質ではないのだが、「どうして自分は思っていることを具現化できないのだろう」と悩んでしまう。そして、往々にして、そんな自分を批判したり、反応しないように努めたりする。が、それは「ありのまま」に見ることからは外れている。
出てきてしまう「反応」は、意識の領域で何とかしようとがんばっても、やや無理がある。なぜなら、原因が潜在意識の領域のこころの汚濁にあるからだ。
こころの汚濁は、その人のこれまでの経験や考え方によって蓄積されている。生きてる以上、みんなこころに汚濁が溜まっている。そして、これは潜在意識に深く内在しているので、自分の意志でコントロールすることが難しい。
多分、コントロールしようと試みる事自体が抵抗となり、汚濁は強化されていく。
この「こころの汚濁」を「ありのままに見る・観察すること」で浄化する方法がヴィパッサナー瞑想なのだ。
毎年顔を出す、フキノトウ。
地下で何かがうごめいていることを感じさせてくれる。
ヴィパッサナー瞑想の10日間コースは、前半の3日半でアナパーナ瞑想に取り組む。自分の意識を呼吸に向けて、「感じる能力」「感覚」を研ぎすましていく。
その後、5日半はヴィパッサナー瞑想に取り組み、自分の身体感覚を頭の先から足の先までじっくりとたどっていく。
これはブッダが体得した瞑想法と言われていて、「こころの汚濁」と「身体の感覚」が直結しているという理解をベースにしている。そして、身体の感覚をひたすら感じていく、全身くまなく感じていくことによって、こころの汚濁が浄化されるという知恵なのだ。
「こころの汚濁」と「身体感覚」のつながりは、科学的にどうこうという次元ではなく「自然の摂理」と説明されていた。
なるほど、確かに、瞑想をしていくことで、自分の意識が軽くなっていく、汚濁が浄化されていく感覚がある。
今回の10日間では、座っている時に浮かび上がってくる過去のネガティブな経験への想い=妄想に気が付き、それに囚われず、それをただ見つめて浄化されるに任せるというプロセスを味わった。多分、前回は妄想に飲み込まれていたのだと思う。
自分としては、かなり軽くなった、不要なものが浄化された印象が強い。
油断は禁物で、汚濁はまた積み重なっていくので、「修行」を日々継続する必要がある。
なるほど、ヴィパッサナー瞑想は正に「生きる技」なのだ。より良く生きる技。
本来的な自分を生きる技。
前回はそこまで感じなかったが、今回の経験を通して「あらゆる人が体験して欲しい瞑想だなぁ」と心底思えた。
>>つづく