identity politics

自分が何者であるか。
外から与えられるラベル貼り=レッテルもアイデンティティになり得る。知らぬ間に、自分が自分の本質と違ったところで定義されてしまう。注意が必要だよね。
「あの人はこうだから」、「この人は○×なのだよ」といった感じで。

ふと気づくと、僕は元カフェの人になっている。まぁ、事実だけど。
今でも「元クリキンディ」「コーヒー屋さん」という印象が強いらしい。
もっとも、元カフェを外した時に「で、あの人は今何してんの?」というところが全く見えないからだと思う。
なので、ひとまず、「あの人は元クリキンディ」ということに多くの人は落ち着くようだ。多分、その多くの人たちも「でも、なんか変よねぇ。あの人何者なのかしら?」と思っているに違いない。逆の立場なら、本当に謎なヒトだと思うよ。
(ちなみに、クリキンディとは赤村で6年続いた自然食・スローカフェ。ワタクシャそこの仕事もしていました。)

そろそろ元カフェ/元コーヒー屋のアイデンティティを放棄しようと思う。自分の中ではとっくにどこかへ置いてきているのだけど。

意図的に自分のアイデンティティを創る。
既存の職業の枠組みに自分を当てはめるつもりが毛頭ない。本当にない。
「職業あきらごとう」なので「これです!」というのが難しい。

これからは「自然と暮らしと平和のがっこうという学びの場を展開する人」「ファシリテーター」「ワークショップ・コーディネーター」「コーチ」というアイデンティティを選び取っていきます。
そこへ向けて明確な意図と努力と学びを積み重ねていく。

カタカナだらけで、何する人か相変わらず分からんって?
出会えば分かるよ。これで良いのだ。