2月で7年続けさせてもらった職場を離職した。
その後、毎日が日曜日状態。
今までもそういったフレーズは使っていたけれども、本当に毎日が日曜日になると、感覚が全然違う。
「ビンボーヒマ有り」ということで、時間の流れがとてもゆっくりしている。
この2週間ぐらいはひたすら稲刈りをしている。
そんなに広い田んぼではないけれども、ゆっくりやっているから時間がかかる。
けど、時間があるから全く問題無し。
この7年の間、アレコレと手を出して忙しくしていたので、「ヒマ無し」「余裕無し」だった。
時間があると色々なことが見えてくるし、やってみることができる。
庭にある柿をもいで食べること。これまでは、気付くと大分落ちてしまっていた柿。今は、時間があるから採って食べることができる。
これだけ、柿がたわわに実っていると、どんどんお裾分けしたくなる。これを売ろうという気にすらならない。不思議な感覚。
集落のおじいさんのイチョウの木。
先日、作業をしているおじいさんが僕を見つけて声を掛けてくれた。
「ゴトー君、今日はおるんかね。休みか?あんた、ギンナン要らんかね?落ちてるのを拾って良いぞ。ワシが必要な分はこんだけあれば、足りるからなぁ。落ちたままだと気になる。取ってくれ」と。
ということで、今年はコンテナ1杯ギンナン確保。まだまだ落ちている。もう少し確保しようかな。
この樹はおじいさんが35歳ぐらいの時に植えたそうだ。もう、47年ぐらい生きている。ここにも、時間の流れ。
BDFの製造
ディーゼル車を動かすために、バイオディーゼル燃料を仕込んでいる。
廃油をいただいてきて、それを化学反応させて、燃料にする。
それなりに、時間と手間が掛かる。けれども、化石燃料ではなく、再生燃料(植物性)で移動できることの歓びが上回る。これも、時間があるから出来ていることでもある。
稲刈り
コンバインやバインダーで刈ってしまえば、おそらく1時間もかからず、全て終わるだろう広さ。時間があると、じっくりイネと向き合い、季節を感じ、風を感じ、虫の声に聞き入る。そんな時間がとても豊かで幸せなのだ。
空を見上げる
時間があると、夕焼けをじっくり眺めたり、珍しい雲を眺めたり。
生きるって、そもそもこういうことなのではないか?
仕事自体は嫌いじゃなかったし、意義深いものだった。
けれども、自分を生きるという点からすると、より今のスタイルが本質的だ。
これからの僕の世界では、週2日働いて、後は農作業をしたり、暮らしの営みに従事する。それがスタンダードになるようにデザインしたい。
それを支えるのは不労収入や株で大もうけ、ではない。そんなタマス的な営みには興味がないし、自分の精神に良くないことが明確に分かっている。
よりサトヴィックな営み。足るを知るこころと実践、支出を減らす具体的な工夫が大切になってくる。そして、それが僕の歓びにつながる。
時間があると、気付きも増える。
まぁ、ゆっくりお茶でも飲みましょう。