【月3万円暮らし】
農村に移住して8年ぐらいで、自分なりの半農半スロービジネスのライフスタイルがほぼ確立した。
暮らしの部分は「月3万円もあれば生きていける」という体制。
米の自給は100%以上。
野菜は無肥料・不耕起で育った分だけいただく程度の畑。それでも、そんなに買う必要性がない。周囲からもらえる分もあるし、野草を食べることも。
基本は玄米と味噌や醤油麹、漬物と汁物があればそれでOKという食生活だった。
食費は月4000円ぐらいだったと思う。
ライフラインが低コスト。
冷蔵庫を置いていなかったこともあり、電気代は月600円程度。
炭や薪を多用するので、ガス代は1000円いかないぐらい(小型のプロパンを活用=基本料はかからない)。薪は地元の製材所から端材をもらってきたり、山から引っ張り出してきたり。
風呂と暖房はオール薪。
水は井戸水。
家賃はほとんどかからない。
電話とネットが6000円ぐらい。ケータイ不携帯。
車の燃料は5年ぐらいは廃油をもらってきてBDF(バイオディーゼル燃料)を自作していた。触媒代などで燃料1リッター40~50円ぐらい。
いわゆる交際費的なものも、そこまでかからなかった。田舎だと誰かの家などで持ち寄りで食事をする方が多い。
当時は、晩酌ビール代が結構かさんでいた。
静かな環境で、綺麗な空気と水、庭に畑、歩いて3分で田んぼ、低コストの暮らし。
収入が限られていても、出て行く分がさらに限られているので、気持ち的にも余裕な暮らし。
何より時間がたっぷりあった。その時間で自分が好きなことを学んでいた。
時々、「こりゃ、リタイア後の生き方に近いな」みたいな感覚も。
一番の出費は自分の学び。
NVCやマインドフルネス、サイエンズなどを学びにいろいろなところへ出て行った。
マウイ島(NVCのIIT)、カリフォルニア(LP)、三重県鈴鹿市(サイエンズスクールのコース)、京都のヴィパッサナー瞑想センターなどなど。
そこで学んだことが自分の中で統合され、主催するワークショップに還元されていく。
何か物質的に欲しいものはあまりないのだけども、この学びの部分は外せない感じだった。そして、それなりの額でも自分が意義を感じたらお金はそこへ流していった。
学びの部分の出費が収入を上回っている時期もあったが、ほぼトントンぐらい。
なにより、自然や人とのつながりに頼った小さな暮らしは土台が強い。
「喰っていくのは大変なんだ」というフレーズは、自分には全く当てはまらなかった。
周囲からは「仙人みたいだ」なんて言われながら。
そう言えば、「ビール仙人」なんて呼ばれ方もあった。
【一人で暮らすことからのシフト】
ある時、「田舎に暮らして10年かぁ。ああ、こんな感じで後10年ひとりで暮らしていくのかなぁ」と思った時に「もういいやろ!」って思っている自分がいた。
「ひとりでシンプルに暮らす」というスタイルは10年かけて満喫した感じだった。
周囲からも「はよ結婚し〜や」「月3万円暮らしはひとりだからできるんでしょ」「家族がいて、子どもがいる暮らしも面白いよ」などいろいろなことを言ってもらっていた。
自分の中でも「家族形成」を意識し始める。が、頭では「家族形成」と思っていても、自分の深いところでは何か拒否反応のようなものがあった。
実は小学生の時から「自分は絶対に結婚なんてしない!」と宣言していた。
その拒否反応的なものも、NVCやサイエンズを学ぶプロセスの中で、徐々に溶解していく。
NVCを使ったインナーワーク(自分の内側で生じるプロセス)をしていたら、「自分は人を幸福にはできない」という信念があることにも気づいた。
サイエンズ経由の内観では「家族というプラットフォームの豊かさ」を感じた。
なんだかんだ言って、家族にものすごい沢山のことをバックアップしてもらって生きてきたことに気づいた。
「人と一緒に何かをやる」というところにも「自分には向いていない」という感じの引っかかりがあった。
それが、NVCやサイエンズに触れる中で「人とのつながり」ということの質がガラリと変容し、こういうツールがあれば、人と一緒に何かをしていくのも大丈夫だなぁ、という感覚になっていった。
そうは言っても、相手があっての家族形成。
どこかで理想のパートナーが現れないかなぁ、なんて妄想を持ちつつしばらく過ごしていたと思う。
2017年にBay NVCというカリフォルニアの団体が企画する「Leadership Program(通称LP)」に参加することにした。合計3回カリフォルニアでのリトリートもあるプログラム。
日本からも十数名が参加していたのだが、その中に一緒に家族をやっていくことにするパートナーがいた。
初回のリトリートでなんだか気になる存在になって、いろいろ話してみたり、その後にオンラインで共感コールを2週間ぐらい連続でしてみたり、関東でコラボワークショップを企画してみたり(結局実現しなかったのだが)、相手が福岡に遊びに来てしばらく滞在してみたり、加計呂麻島でのリトリート(?)をサポートしてみたり。
そんな流れの中で、2人の間にいのちが宿り、3人になっていった。
と書くと順調に家族形成という感じに思えるかも知れないけども、いつでも衝突&小競り合いが絶えない関係性。
入籍も「本当にしていいのか?」「この相手で大丈夫なのか?」とお互いに迷いがあったりもした。
【悟りは幻想でした】
パートナーと一緒に暮らすまでは、ひとりでかなり穏やかな暮らしを営んでいた。人間関係での摩擦や刺激もあまりないから、「自分は人に対してイライラしたり腹が立ったりしない」「悟りの境地はもうすぐそこなんじゃないか」ぐらいの勘違いをしていた。
一緒に暮らし始めると、なんとまぁ、出てくる出てくる、自分の中の反応オンパレード。
11年ぐらいひとりで気ままかつ自由に暮らしていたのもあり、自分のペースや自分のやり方がガッチリある。
そこに他者が入ってきたものだから、自分の中の秩序が揺さぶられる。
そして、タイプ的に全然違うわれわれふたり。ぶつかるぶつかる。
「あぁ、悟りは遠かった。。。」
一時期は「こんなに色々な反応やジャッジが出てきまくる自分が、NVCのワークショップなどやって良いのだろうか?失格なんじゃないの」と悩んだりもした。
周囲からは「その方が味があって良いんじゃない。今までは仙人だったけど、下界に降りてきたんだよ」なんて励まされながら。
たくさんぶつかるけども、土台の価値観が近いことと、NVCを共通して学んでいることが助けになっている。
「何が生じても、後々話はできる」という感覚がある。
そして、NVC仲間たち(僕らの共通の友人も含む)が、オンラインで話を聴いてくれる機会も定期的に持っているので、それに大いに救われている。
NVCという手法、そこにいる仲間がいなければ、家族形成どころか確実に家族崩壊になっているね、とお互いに思っている。
自分の反応は自分のもの。そこから自分の内側を見ていく、そこに潜っていくプロセスもたくさん反応が出てくるので「ネタに尽きない」状態。
そんな中で少しずつ少しずつ家族という在り方を模索している。
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