スライディングスケールって? お金について

最近、講座やワークショップをやる際に、「スライディングスケール」という手法を採用している。固定の価格ではなく、一定の幅から参加した人に「このぐらい支払う」と決めてもらう。

根底に「参加費が高いから」ということで、「人類の智慧」にアクセスできないってどういうこと?お金がないと学べないの?そんな思いがある。

今、僕が持っている知識や経験は「自分で獲得したもので、自分のコピーライトだ!」みたいな感覚はない。
まぁ、組み合わせにおいてオリジナリティはあるとは思っているけど。
色々な人が積み上げてきた知識や経験による未完の集大成があって、それを僕がせっせと編集しつつも活用させてもらっている。それがまた未完の集大成に還元されていく。
自分自身が学ぶこと自体が好きだし、「こうしたらこのエッセンスが届くんじゃないか」とかなりの面白みを感じている。
ワークショップで「おお、この展開面白いじゃん!」という感覚が生きる歓びになる、実践型の探究者。

じゃぁ、好きなように学んで、無料でどんどんシェアすれば良いじゃ〜ん。確かに!
それをして「暮らしが回る」なら全然OK。けど、残念ながらそうもいかない今の現実。家族もいるし。。。

なので、ひとまず価格は設定してみる。
この価格の意味は何だろう?
ズバリ、エネルギー循環というのがしっくりくるかな(今は)。


僕が学び体験して編集したものを「こんな感じだぜい、どう?」って差し出す。
それを皆さんが体験してみて「ほほう、面白い」「なるほど、暮らしで活かせる」みたいな感想を持つ。その受け取ったものを、「円」というエネルギーで僕に循環してもらう感じ。

自然界はほとんどのものが循環している。今吸っている空気ひとつ取ってみても、それがどっからどうやってきているのか?想像してみると面白い。
アマゾンからやってきたものが含まれてるかも知れない。しかも、100年前に木々が吐き出したものかも知れない。
そんな循環の中で生かされている。

でもって、お金の難しさ。
「いかに多く得るか/いかに少なく済ませるか」という習慣が私たちの中にガッチリ入り込んでいる。分離の世界観。探り合い、義理や義務感からの支払い。なぜか支払う方が偉い感覚まであったりして。
「示しがつかないから」「悪いから」「どう思われるか分からないから」などなど。そして、受け取る側には「これだけしてやったんだから」「ここまで公開しちゃってるんだよ」「これも付けとこう」みたいな。。。
「ひととひと/こころとこころ」みいたいなところから確実に遠ざかりがちだ。

講座の参加費を通して、「いかに多く得るか/いかに少なく済ませるか」これを一緒に超えていく実験をしたい。
そもそも、フトコロ事情はみんな違うし、タイミングによっても違うし。
僕はフルスロットルで出し惜しみせずに場に臨みたい。意識としては、好きに学んでそれをみんなにシェアしていく。そして、なんだかんだで暮らしは回っていて妻も娘も笑顔だと良いよね。

僕に経済的な余裕があったら自分の新しい学びも加速する。それがみんなや社会にも還元される。
分離ではなく、「ひとつ」の世界へ。
そんな文化を一緒に育てていきたいです。

今採用している「スライディングスケール」はなかなか使い勝手の良い手法です。
「このぐらいの幅でお願いします」としておいて、「参加してみて、気持ち良く支払える分を支払っていただく」。例えば、12,000円〜38,000円の幅。
金額に関してもひとまずの目安だし、強要じゃなくてリクエストとしての額。
「今回は5000円しか払う気ないわ」という感じだったらそれでも良いし、「いやぁ、感激したしちょうど臨時収入もあったから50,000円どうぞ〜」みたいなことがあっても良いし。

妄想としては、長く続けていく中で関係性が充実してきたら、参加者が「実は今お金で困ってて」みたいな相談したら、一時的にそこにお金が集まるとか。
「今、キュウリがたくさんあるから、持ってって〜」ぐらいの気楽さでお金も回る。
お金で苦しまなくて良い世界。
分離からひとつへ。