独立自営と半農半スロービジネス確立 ライフヒストリー

beart つながりぢから探究ラボ
代表:神山 彰(JIN Akila) ライフヒストリー3 (その1)(その2

【311の衝撃と生き方】
2011年3月11日 カフェで仕事をしていたら、出勤してきたスタッフが「関東でも大きな地震があったみたいですけど、実家は大丈夫ですか?」と言ってくれた。
家にはTVもないので、何も分からずネットで調べると、大地震。電話をしてみてもつながらない
そうこうしているうちに、原発が爆発したとのニュース。

当時勤めていたWF(ウインドファーム)の代表中村隆市さんはチェルノブイリ事故後の現地のサポートや原発の無い社会への働きかけを長年してきている人だった。
それもあって、原発関連の様々な情報が入ってきた。事態の深刻さ、放射線による汚染の危険性、読めない今後の状態(社会も経済も会社も)。
「明日は風向きによって、九州にも放射線が飛散してくる」という予測が出たり。

春先なので種蒔きの時期でもあったけども、「これを撒いても結局汚染されるんじゃ無いか?」という途方に暮れる感じがあった。
同時に「どれだけ理想を描いて一生懸命に何かを築いても、一瞬でダメになるのかぁ」という虚無感にも襲われた(何かを構築できていたわけでは無いけど)。
初めは虚無感から「何に対してもやる気がしない」ぐらいの状態になった。

けれども、自然のリズムはお構い無しに巡っていく。
当時は自給用に田んぼをやっていたので、「そろそろ田んぼの整備をしないとな」という感じになった。
かなり重い腰をようやく上げて、田んぼに働きかけていく。その流れで畑にも種を蒔く。
田畑の変化を見て感じながら、いつしか虚無感が薄らいでいった。

一連の出来事の中で「必ず死はやってくる。残りの人生をどう生きるか?やりたいことだけやっていこう」ということが自分の中で強くて明確な感覚となった。
当時は「文明観と人生観がひっくり返った」感じがしていた。

【離職&自営業者へ】
お世話になっていたWFでの仕事は意義深いものだし、楽しさもあった。311の後もなんだかんだと仕事を続けていた。
「やりたいことだけやる」というモードになりつつ、震災後の会社がどうなるか踏ん張り時という雰囲気、店長をしていたカフェの今後をどうするか(2012年末で閉店)、ゆっくり村(エコヴィレッジ計画)のプロジェクトをどうするか、などなど、自分が関わっている事案もそれなりにあった。

そういった仕事にも関わりつつ、週3日だけの勤務にするかとかいろいろ考えてはみたけど、結局は目の前にある仕事をこなしていく中で、月日が経っていった。

「残りの人生をどう生きるか」と意識した時に「独立したらこれをやりたい」というのが明確じゃなくても、いったんスペースを取ろうと決め2013年に離職。
屋号を「自然と暮らしと平和のがっこう beart」として36歳で自営業者になった。

定期収入が途絶えるので、「やっていけるのか?」とそれなりの恐れもあった。
暮らしのベースが月3万円もあれば生きていける仕組みにしていたので、「まぁ、なんとかなるもんだな」という感じではあった。

自営になってやり始めたことは、またしても複合的だった。
「月3万円暮らし」「電磁波」「食品添加物」「遺伝子組み換え食品」などをテーマにしたお話会。
イベントでのコーヒー抽出&販売。
手前麹仕込みのワークショップなどなど。
大学生向けの海外エコツアーの現地ガイドなんて仕事もあった。

またしても「何屋さん?」という状況だが、それまでのWFやカフェ・クリキンディ、SBSを通したつながりに助けられて、いろいろ仕事をいろいろな場所でさせてもらった。

と言っても、暮らしがシンプルなので、そこまでの収入は必要無い。なので、そこまでガツガツ働く感じではなく、自分が関心のあることを学んだり、いろいろな研修やプログラムに参加もしていた。

収入のメインは自分が講師となる「お話会」で、なんだかんだで月に2本ぐらいはどこかで話をさせてもらえていた。


東京池袋にて「月3万円暮らし」の企画をした際の動画。
ピースボートでインドに行った時の仲間でもある
高坂勝さんの【たまには月でも眺めましょ】にて、彼とクロストーク。

しかし、2年ぐらい続けていく中で「んん、これは常に新しいネタを考えて、企画をさせてもらえる場所を開拓し続けないと成り立たないぞ」と気付いた。常に「さて、次はどんな企画を?」と追われるのも心地よくない。

自営で比較的のんきに2年はやれたけど、さてどうしたものか?
このやり方だと先が見えない、というのが正直なところだった。

【非暴力コミュニケーション(NVC)との出会い】
自営業者になる際に自分の価値観の棚卸しをしたら、これまでやってきたこと、得意なこと、やりたいことが交差するのは「学びの場を提供する」ということだった。
「月3万円暮らしのお話会」といったものも、その流れでやっていたけれども、何か違う質のものを探していた。
2015年のそんな折に、友人に勧められて「コネクション・プラクティス(当時は「BePeace」)」という手法のワークショップに出てみた。

この手法のベースにあったのがNVCだった。
当時WSに参加してみてどんな感じだったかは、あまり覚えていないが「何か可能性を感じた」のだろう。そこからNVC関連のワークショップや合宿に立て続けに参加するようになる。

初めて参加した密なプログラムはハワイに在住のトレーナーJim and Jori がリードする「調停 mediation」に関する6日間のものだった。
調停が何なのかは全く分かっていなかったが、NVCに触れて深めることを目的に参加してみた。


Jim and Jori
NVCスタイルの調停に関して興味のある方はこちらの動画をチェック!

これまで自分の中で「対立 conflict」は厄介で面倒なものだし、関わりたく無い質のものだった。なにせ仕事をしていく中で「人と関わることは面倒だし、トラブルの元だ」と思っていたぐらい。

講座の中で「対立があるということは、そこに本当に大切にしたいことがあるので、つながりのチャンス」というエッセンスが言葉を変え、形を変え伝えられていた。
様々なワークする中で、本当にお互いの「ニーズ/大切にしたいこと」を理解し合えると、自分の中で感覚が変わり、歩み寄りが生まれることを体感した。

「このやろう」という感じの思いを抱いている相手に対してでも、そうかぁ、そういうことが大切にしたいんだね、とシフトしていく。
「表に出てくる言葉ではなく、その奥にあるニーズを聴く」、それを繰り返し体験する中で腑に落としていった。

6日間ほどの密な体験の中で「つながり・共感」「自分が大切にしたいこと/ニーズ」ということの質感がガラリと変わった。
「すごいな。この手法があったら、対立ってつながりに転換するんだ」と深く感じた。

ますますNVCが面白く感じられたので、4ヶ月後にマウイ島で開催されるIIT (International Intensive Training)という10日間のプログラムに申し込んだ。
トレーナーにはJim とJoriも入っていた。

IITでの経験は10日間ということもあり、とても濃密で貴重な時間だった。
40名以上いるメンバーの中で、共感がベースにあり日々を過ごす。そこに生まれてくるつながりの質、みんなのニーズを大切にするコミュニティの感じ、5人のトレーナーによる多様なトピックに関する深い学び。


IITでの気づきはコチラ

NVCを学ぶ上で初期に合宿(リトリート)に参加できたことは大きかったと思う。そこで一気に理解が深まるし、体験として「共感」「つながり」「ニーズ」といったことの質感がガラリと変化していった。
「自分の中につながりが満たされている感じがあると、全くお酒が必要無い」という体感はとても新鮮だった(当時はよく飲んでいた)。

IITで出会ったメンバーとは今でもつながりがある。

その時にはまだ学び始めたばかりだったが、「NVCを学びながら、それを伝えていくことを仕事にしよう」「それは自分がやれる」と思えていた。
これまでの仕事でワークショップやファシリテーション、場作りに関してはそれなりに学び経験も積んでいたのもあって、感覚的に「これはいけるぞ」みたいな感覚があった。

WFで仕事をしていた時に学んだ文化の一つに「完璧じゃなくても実験的な要素も含めてやってみる。その中から学びブラシュアップしていく」というものがあった。
そのスタイルを見てきたし、自分でもやっていたので、NVCの講座も「入門編」ということで展開し始めた。
このNVCの講座も今までの人とのつながりの中でさせてもらった感じが強い。

【形になり始めたライフスタイル】
自分が興味関心のあることを学んで吸収して、それを必要な人にシェアしていく。それで、暮らしが回っていき、さらなる学びにも資源を使える。気がついたら、規模は小さいけどそんな状態になっていった。
あれこれ模索をしてきて、ようやく半農半スロービジネスの中身が伴う感じになった。

仕事をし始めてからいろいろな経験をする中で、自分の人生は「自分で切り拓いて生きている」というよりも、より大きなつながりや社会の中の「実験」なのだとどこか委ねている感じがある。

「自分の生活は自分で何とか回さなきゃ」みたいな意識が皆無といったら嘘だが、「まぁ、大きなつながりの中で何とかなるだろ」ぐらいの感覚と信頼の方が強い。
「人とのつながり、自然とのつながりがあれば、生きていける」とも感じている。

半農半スロービジネスのライフスタイルは形になったところで、何となく気になっていたのは、家族形成だった。ある時、「あれ、このまま次の10年もこうやって1人で生きているのか?」と思ったら、「いやいや、もうそれはいいやろ!」って突っ込んでる自分がいた。
その辺はまた次の機会に。