執着を離れる/思いやりを生きる 実践的な手法

ヴィパッサナー瞑想(ゴエンカ式)3日間+10日間コースに先月参加していた。
気づけばトータルで15日ほど京都のダンマバーヌに滞在。今回で10日コースは6回目だった。

瞑想自体は淡々と進めていけて、メンタル的にも身体的にもとても楽だった。
朝4時から動き出して瞑想、食事をして、瞑想、昼食とって昼寝して瞑想、講話を聴く、就寝みたいな流れ。トータルで1日10時間近く瞑想している。
こういった施設があって、お世話をしてくれる人たちがいて、美味しい食事があって、ヒーターの暖かさがあって、自分の内側に向かっていける。
静寂の中で庭に出れば、椿がつぼみを徐々に開いていて、雲が悠々と流れていき、木々は凛としていて、小鳥が歌っている。
「ああ、なんだかとっても幸せだなぁ。世界は美しいなぁ。」そんなことを日々感じていた。
空を見上げてそこに美しさを見出し、自然と涙ぐむようなことも度々あった。

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ヴィパッサナー瞑想という名前でいろいろなやり方があるけれども、深い領域を経験したい人にはゴエンカ式がオススメ。
「執着を手放すことで苦難から自由になれる」ということを、知的理解やお題目ではなく、ズドンと体験から腑に落とす。その実践的手法。
コース中の講話の中で次のようなことが語られている。「世界中の宗教が執着を離れろと説くが、具体的にどうするのかを示せていない。自分の身体という枠組みの中で、そこに生じては消えていく感覚に注目する。そこから全ては生まれ消えていくことを理解する。生まれては消えていくものに、渇望や嫌悪を抱くことがいかに無意味かを体験から理解しなさい。それが本当の智慧である。」
机上の空論ではなく、実践的な手法があって、初めて具体的な変化が生じる。

瞑想をしながら、「そっか、NVC/共感コミュニケーションは「思いやりを持って生きる」ということを、知的理解や心がけではなく、体験から理解して実践する手法なのだ」と納得した。感情を手掛かりにしつつ、いのちのエネルギーとしてのニーズにつながる。それは、日々の暮らしの中でできること。
ただ「情報や知識として知っている」というところから、「そのものの質を生きる」「実践する」というところへ。

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今回の瞑想中に、サイエンズやNVC的な世界観や実践手法を世の中にどう伝えていくか、広めていくかということに、自分がかなり関心が高いことを自覚した。
ティク・ナット・ハン路線のマインドフルネスはブームというか、広がっているけれども、マーシャル・ローゼンバーグのNVCはまだまだマイナーな気がする。サイエンズも然り。何が違うんだろう?
日本語で手に入る書籍の数は圧倒的に差があるなぁ。マインドフルネス系の本は溢れている。
そして、手法としてのシンプルさやお手軽さもあるんだろうなぁ。
一朝一夕では到達できないことも多々ある。NVCの文脈で言えば、基本になる自己共感でもそれなりに鍛錬が必要。それを一緒に学んでいくコミュニティやつながりは必須だなぁ、と思う。しかも、それを暮らしのレベルで実践しながら深めていくつながりの質。
今、自分はありがたいことにNVCを学んでいるパートナーと一緒に暮しているので、エッセンスに触れる、じっくり話し合う機会が豊富だ。小競り合いも多いけど、そこから自分自身を相手を見ていくことができる。

会社という組織を離れ複合的に自営をやってきて5年。
この間チャレンジしてきたことや探究してきたことが徐々に統合されていく。
ふむふむ、やっぱり人生は面白い。