共感コミュニケーション/非暴力コミュニケーション(NVC)を学ぶことで「世界の見方」が変わることでしょう。
「この子は本当にワガママだ」といったジャッジ(正しいか間違っているかの評価/判断/分析)
「嫌だけど私は家事をしなければならない」という義務、我慢、犠牲、義理のモード(すべき、ねばならない、当然そうだ、仕方がない=私の責任ではない)
「これだけのことをしたのだから、罰せられて/感謝されて当たり前だ」(罰と報酬による操作)
「~をしなさい。さもなくば」という押し付けや強要(意に反して何かをさせる、やめさせる)
残念ながら今の社会の中ではこういった「物事の捉え方」を土台にしてコミュニケーションをしたり、子育てをしたりしています。
「その人の意思に反して何かをさせる/やめさせる」ことを暴力と捉えると、多くのコミュニケーションのパタンは暴力的になり得ます。
そういったモードの中で生きてきたし、それを教えられてきたのである意味仕方のない状況かも知れません。
共感コミュニケーション/非暴力コミュニケーション (NVC) では、これらの枠組みを全く違うものに変容させます。
★「お互いの中に人間性を見出し、思いやりと共感を土台にした関係性の質をつくる。」
みんな自分の大切にしたいこと(ニーズ)を満たそうと最善を尽くしているので、そこに寄り添い共感モードでいる。
表面的に現れている言動の奥にあるニーズに意識を向けることで、そこに人間性が見えてきます。
★「お互いのニーズを尊重し、お互いの人生をより素晴らしいものにする。」
「そうかぁ、あなたはこんなことを大切にしたいんだね」ということが腑に落ちると、そこには「つながり」が生まれ、相手に貢献したい気持ちも出てきます。
★「ヨロコビから行動することを目指す」
義務や我慢、犠牲、義理といったもので「仕方がない」と言いながら動くのではなく、自分が「何を大切にしたいのか」というニーズとつながり、そこから行動を起こしていきます。
根底にあるのは「正しいか間違っているか」という発想ではなく、「何を大切にしたいのか」というニーズに根ざした世界観へのシフトです。
私たちの世界の見方が変わると、目の前にある現実が違って見えてきます。コミュニケーションのモードが変わり、やり取りの質が変わると人生が変容します。
例えば「なんで毎日家にいるのに、こんなに片付かないんだ。ちゃんと家事をやってくれよ!」という発言。
受け手は「批判された/私がダメなんだ」「自分がやれよ!」といった反応もできます。大抵は対立して「どちらが正しいか/間違っているか」の応酬に。お互いに疲弊して、誰の人生もより豊かにはなりません。
一方で、お互いのニーズとそこにある気持ちに注目することも可能です。
「イライラした感じと不満があって、家に戻ってきたらリラックスできる空間が必要なのかな?私は今の話を聴いて悲しい感じがしてるのよね。お互いに理解し合うことや協力することを大切にしたい。だから、5分ぐらい時間を置いて落ち着いて話ができないかな?どうだろう?」と相手とつながろうとするやり取りもできます。
自分や相手が何を必要としているのかに着目し、そこで共感できると、表面に出てくる感情や言動に振り回されずに済みます。そして、どうしたらお互いのニーズを満たせるかを前向きに考えていけます。
これは、夫婦間や子どもとのやり取りにおいても大いに活かせます。
「家族や子どもとの関係性の質が変わった」「自分自身への理解が深まり、自分にもっと優しくなれている」「相手の話を聴くということの意味が根本的に変わった」といった感想をNVCの講座参加者からいただいています。
自分自身や家族の平和や調和につながるコミュニケーションと自身の在り方。その土台にある「世界の見方」を含めて一緒に学びませんか。