No Judge と気付き

コーチングを実施する上でも、日常生活でも大切になる鍵に「ジャッジしない」ということがある。なかなか難しいことなのだが。

ジャッジとは「価値判断」「裁き」「決めつけ」といったところだろうか。
実は、僕はジャッジしまくる人間だった(一応、過去形にしておこう)。
言い訳だが、以前の職場では営業職だったので営業相手と話を数分する中で、「この人はどういった人で、買うか買わないか」といったことをジャッジしていたんだ。そんなことを2年近くもしていたこともあり、人を瞬時にジャッジするクセのようなものがあった。今でも、多分、ある。

アバターやヴィパッサナー、ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(GAP)などで学びを深めたことの一つに「ジャッジしない」ということが含まれている。
具体的にどういうことかというと、僕の理解では以下。
「自分の価値判断を保留して、相手の立場に身を置く。
ただただ、ありのままを見つめる、感じる。
分析やアドヴァイスも必要なく、答えはその人が持っているということを信じる」

ジャッジをしないのは、相手に対してもだが、自分に対しても。
ヴィパッサナーでは、「ただ観察する」ということをひたすらしていく。
自分にとって居心地の悪いことや、認めたくないようなことも、抑圧せずに「あ、そういう面があるんだな」と。
例えば、「僕はまだ人をジャッジする面がある」ということも、価値判断を交えずに、見つめる。
「ダメだダメだ、またジャッジしてしまった」とダメ出しという名のジャッジが入ると、抵抗を受けた性質は強化されてしまう傾向にある。
逆に認めて受け入れていく、そのこと自体を深く感じていくと、質が変わってくる。
ありのままであること。

そう、答えはその人が持っているのだ。だから、気付きが大切になる。
GAPのワークショップに参加した時に「気付きって何なんだ?」って思考でグルグル考えている自分がいた。けれども、何かの拍子に「ああ、気付きとは気付きなんだ」って妙に納得した自分がいた。すごく面白い、不思議な経験だった。
気付きは「やってくる」あるいは「降ってくる」。
「気付こう!」と、そこへ向けて努力するというのは、ちょっと違っている。

GAPでは、一切の分析も価値判断も相手からされない。受け取るのは、自分が語ったことのエコー。「壊れているものがあっても、直さない」というスタンス。
その中で、自分が勝手に「ああぁ」って気付く。

コーチングでも答えはその人が持っていることを大前提にしている。対話と質問を投げることを通して、クライアントが「ああ、そっか」って気付く瞬間が出てくる。
そこで視点が変わったり、意味付けが変わったりする瞬間に立ち会うと、鳥肌もので、僕自身もすごく嬉しい。そこに、学びと成長/成熟があるから。

僕自身に限って言えば、そういった気付きの質を高めるためには、ノイズを減らし、自分をシャープにしておきたい。
食や情報、空気や水など感覚を鈍らせるものが山ほどある世の中。ノイズを減らしつつ、瞑想し、身体を動かし、自然の近くに身を置く。
そういったことが、僕にとってはとても大切。

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